とどまる、感じる、ひらく

自分へのコンパッション

2025年09月11日 15:58

 近年、「コンパッション」という言葉は、本屋さんでよく見かけるようになりました。「コンパッション」とは、思いやりや慈悲です。この「コンパッション」が自分の生き方や人との関係性において大切だと感じる方も多いのではないでしょうか。けれど、いざ自分自身に対して実践しようとすると難しさを感じてしまうことがあるのではないでしょうか。 

 誰かが落ち込んでいると、背中を擦るようにそっと「大丈夫よ」と声を掛けたりできるのに、自分が苦しいときは、「早く良くならないと」「早く治さないと困る」などと言ってしまいがちです。それは、無意識のうちに「今の自分ではダメだ」と否定してしまっているからかもしれません。 

 

 身近な例では、お腹を壊したとき、治すことばかりに捉われすぎて自分のからだ自身を見ることはしていないことが多いのではないでしょうか。お腹が治れば、「また美味しいものが食べられるように早く治そう」「お腹が治らないと誰とも遊びに行けない」など外のことに囚われてしまっているように思います。治したい気持ちがあることは自然ですが、そう思ってしまう裏には自分を否定してまう思いも潜んでいます。 

 ここで、「お腹を壊したということは、からだが何かを訴えているのではないか」という方に意識を向けると違う言葉が出てきます。例えば、「お腹は壊れるまで頑張ってくれてありがとう」「お腹を無理させてしまってごめんね」などという言葉がです。そういう言葉を、自分自身に掛けることによって、静かな気持ちになっていきます。 

 「コンパッション」によって、ただ自分自身に寄り添うだけでいいのです。そうすることによって、自分のからだが「分かってくれた」と思い、からだの緊張や心が疲弊していたことに気づいたりもします。その気づきが、自分を労わることに繋がっていきます。 

 

 私は、知人から貰った十二の巻(サボテンの一種)という観葉植物を育てています。水やりの頻度を守り育てていると、株が増えて小さい鉢植えが3つに増えるほど元気に育っていました。ところが、ある時期から成長が止まり、元気がなくなってしまったのです。「水が足らないのか」「栄養が悪いのか」と外側の要因ばかり考えていたのですが、原因は「土」でした。長く土の入れ替えをしていなかったため、土が固くなりすぎて根が張らなくなっていたのです。十二の巻きは、瀕死の状態だったのです。十二の巻きの状態を見ず、成長を促すことばかり考えていたのです。やわらかい土に入れ替えたことで、呼吸ができ根を張ることができ、再び元気に育ち始めたのです。 

 この経験から、自分自身に対しても風通しをよくしてあげることが、自分自身への「コンパッション」に繋がっていくと思います。 

 

 私たちは、体が悪くなるとすぐ治す方向に、何かができなくなるとすぐできる方向に舵を切ろうとします。しかし、そうなる前に自分自身に目を向けるようになると、自然と「身体を無理させていてごめんね」「できなくても死ぬことは無いからね」などと意識を向けられるようになるでしょう。 

 

 以前、内臓が冷えていることに気づいたとき、なんとか温める方法はないかと色々試しました。一時的には良くなるのですが、すぐに冷えてしまいます。そんなとき、自分に対して「コンパッションが必要ではないか」と思い実践しました。自分自身の内臓一つ一つに対して「ごめんね」「ありがとう」と語りかけました。それまで感覚がなかった内臓が反応をしてくれて、徐々に内側から温かくなっていったのです。やはり、自分自身へのコンパッションは必要なのだと気づかされました。 

 

 人は、失敗したときや上手くいかなかったときには、自分自身に対して厳しくなりがちです。そういったときにこそ、「コンパッション」は必要なのです。もう一度言いますが、「コンパッション」とは、思いやりや慈悲です。この「コンパッション」は誰でも備わっているものですが、練習が必要です。自分に厳しくしているときでも、少し自分自身のからだや心の声に耳を傾けることから始めてみるといいかもしれませんね。そして、その声に対して、 

「ありがとう」「ごめんね」と。 

 この言葉により、「コンパッション」の小さな芽が育ち始めるかもしれません。 

 

 

信暁(2025年9月11日)