子どもは親の道具ではない
2026年01月25日 12:57

子どもは子どもであることを許されているか
「子どもであること」をそのまま認められて育っている子どもは、どれほどいるのでしょうか。
赤ちゃんの頃は、何もできないから、周りの大人は自然と世話をします。しかし、少し大きくなり、歩き始め、言葉を覚え、少しずつ自分でできることが増えていくと、親の接し方も変わっていきます。子どもが自分でいろいろなことができるようになると、いつの間にか親は、自分の子どもが「子ども」であることを忘れていくように感じます。
たとえば、子どもが小学校に上がると、「もう幼稚園児じゃないんだから、いつまでもそんなことはしないの」などと親から言われることがあります。けれども、子どもにとっては、幼稚園も小学校も関係ありません。ただ自分がしたいことをしているだけなのです。小学校に上がり、勉強を始めたからといって、まだまだ子どもであることには変わりありません。
親のエゴが子どもを見えなくする
子どもが成長してくると、親のエゴが顔を出す場合があります。「自分の叶えられなかった夢を子どもに託す」、「こうなって欲しいという思いを子どもに託す」、あるいは「子どもはこうあるべきである」といったことです。
しかし、子どもは親の道具ではありません。子どもには子どものやりたいことがあり、子どもには子どもの夢があります。それを無視して自分の想い通りに動かそうとするのは無理があります。
一方で、子どもの成長に合わせて的確な助言を促しながら、子どもを見守っている親もいます。そのように育てられた子どもは、自分のやりたいことを見つけやすく、自分の力で立ち上がっていく子どもが多い印象があります。
どちらが良くてどちらが悪いということではなく、一人の人間として認められているかどうかということです。
認められずに育つと、子どもは自分を見失う
よく、中学生、高校生になっても「将来何になりたいかわからない」、「どう生きていっていいかわからない」という子どもさんを持った方から、相談を受けることがあります。いつもその方たちに伝えていることは、子どもは小さいときから認められずに育つと、自分の立ち位置が分からなくなるということです。何も認められないから親から言われることをただ聞くだけ。自分のやりたい思いにも、自分の感情にも蓋をしてしまいます。そうして魂の抜け殻みたいになって、ただ言われたことをするだけということを身につけてしまった結果が、いまの状態であると。
そう言うと、たいていの方は「子どものことを考えていたし、子どもも嫌がることはなかった」と言います。幼い子どもにとっては、親は神様のような存在です。もし自分が嫌なことを言われても、親のことは悪く思わず「自分が悪いから」と自分の罪悪感を作り上げて、決して親のことを悪く言うことはないのです。そういったことの積み重ねで、子どもはいつしか、自分自身のことを見ることができなくなり、自分のことがわからなくなってしまいます。そして、知らず知らずのうちに、精神的に追い詰められていくことも珍しくはないのです。
子どもの願いは評価ではなく認められること
もし、「子どもが何を考えているのか分からない」、「子どもがどうしたいのか分からない」といったことを感じているなら、一度立ち止まって考えてほしいのです。自分は「子どものことをしっかり認めていただろうか」、「子どもを自分のエゴで育てていなかっただろうか」と。
子どもが親に対して見せるいろいろな姿の根底には、「認めてほしい」という思いがあります。子どもが「認めてほしい」という気持ちを見せたときに、親が受け取ってあげる。それだけで子どもは満たされる。認めてもらえたという喜びが、子どもの自尊心や創造性を育て、思いやりなどの慈悲の心も芽生えていきます。
子どもを育てているときは、「どこに出しても恥ずかしくないように」ということを思うかもしれませんが、それは外からの評価をただ気にしているだけです。子どもが本当に求めているものは、評価ではなく「自分を見てほしい」ということです。「自分がしっかり見て認めてもらっている」という、その喜びを与えてあげることこそが、子どもを育てる上で一番大切なことではないでしょうか。
子どもと「共にある」こと
もう一度言います。「子どもは親の道具ではない」と。親の理想や願いはいったん脇に置いて、まず目の前の子どもを見ます。そして、子どもを一人の人間として認めてあげ、一緒にその場所で「共にある」ということです。
「共にある」 すべてはそこから始まります。
信暁(2025年1月25日)