とどまる、感じる、ひらく

甘えることは大事

2025年03月12日 18:16


 1945年3月10日は東京大空襲があった日です。今から80年前です。戦争の話を聞くと、どうしてもリハビリの仕事をしているときの患者さんで、戦争を経験している高齢者の方たちのことを思い出してしまいます。

 戦争を経験した人たちは、時代背景から甘えるということを知らずに育ってきた方が多いのではないかと思います。男の子であれば戦うために早く一人前になることが求められ、女の子であれば男の人を支えることが求められていたようです。だから、幼少の頃は親に甘えることで愛情をもらうことが必要であるにもかかわらず、それは決して叶うことがなかったものなのです。

 戦後しばらくは、物がなく、食べること自体が厳しい時代であり、そこでも歯を食いしばって生きて来られた方が多いです。

 幼少のころは戦時中で、甘えることによる愛情などもらえる状況ではなく、戦後は、生き延びるために愛情よりも食料を……、そして大人になると高度成長期になり、少しでも良い暮らしを……と、身を粉にして働いて来られ、自分にも他人にも愛情を与えることなしに生きて来られたように思います。


 私がリハビリを受け持った、戦争体験のある高齢者の方たちは、頑張ることでしか愛情を表現できなかったのです。融通が利かなく頑固である方が多い印象でした。「頑張れない自分はダメ」「以前はもっとできたのに情けないなぁ」と表現されたりもしていました。しかし、口ではそう言うものの、甘えたいという衝動は感じ取れました。


 リハビリをするとき心掛けていたのは、昔の話を黙って聞き、決して自分の意見を言わないということ。それと、相手の方の辛い体験を辛いままにしておかないということでした。

 どういうことかというと、辛い体験の中にも楽しい思い出も少しはあったはずなのです。記憶の片隅に追いやられていた楽しい体験を思い出してもらいました。たいていの方は、楽しかった出来事を思い出し、「あのときはあ~やった、こ~やった」と表情が明るくなり、子どもに戻った感じで楽しそうに話されたりされていました。

 しかし、頑なに「楽しかったことなんてない」と言う人もおられましたので、そういう方に関しては深追いせず、今この場でマッサージなどにより、気持ちを良い方向へ持っていくお手伝いをさせていただきました。そうすると、少しずつその方に変化が起こり、自分から過去の話しを始める方もおられました。

 やはり、「人はいくつになっても自分の欲求が満たされれば、変化できるのだなあ」と思いました。それと同時に、「甘えさせてもらう」という欲求が満たされないと頑張ることでしか自分を表現できない、自分を保てないのだということもわかりました。


 こんなふうにして、私は、リハビリに携わった高齢者の方から「幼少の頃の甘える経験は大事である」ことを教わりました。

 私の両親も戦争を経験しており、その親に育てられた私も甘えることはできない環境で育ったということを、この方たちに会って、初めて認識しました。だから、頑張ることはできても甘えることはできなかったのです。


 おそらく、私と同年代の方たちは、甘えることができない方も多いと思います。それは、親世代から受け継いだものとして、頑張ることが甘えることを腐食する唯一の方法と無意識の中で教えられたからです。これが、世代間トラウマとして受け継がれていることであり、世の中が変化しても親子関係が変化できない要因ではないかと思います。そう考えると、先の戦争から80年経った今も、精神的な面ではあまり変わっていないのではないかとすら思ってしまいます。


 「甘えさせてあげること」と「甘やかす」ということが一緒になっているのかもしれません。だから「甘えることはいけないこと」となっているのでしょう。

 「甘えさせてあげること」は、幼少の子どもに、気の済むまで自分の「甘えたい」という欲求を叶えさせてあげることです。逆に、「甘やかす」ことは、「甘える」という行為自体が子どもが主体となっているのではなく、大人が主体となっているため、子どもの気持ちは無視されているのです。だから、子ども主体で考えると、「甘やかす」ということはなくなるのではないでしょうか。

 子どものときに十分に「甘えさせてあげること」が大事であると同時に、そうできなかった方でも、甘えの再獲得は大人になってからでも可能なのです。この「甘えさせてあげること」をすることが、世代間トラウマを断ち切ることになります。RERAっぽのセッションでは、過去に得られなかった体験を、その場で取り戻すこともやっています。


 自分が得られなかったものを取り戻し、自分自身の欲求も満たしてあげましょう。それが生きることなのです。


信暁(2025年3月12日)