「みる」:『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』を読んで(part1)
2025年07月10日 14:15
私たちは、「生きづらさ」を感じる瞬間があります。漠然とした孤独感、なぜかうまくいかない人間関係、そして理由のわからない苦しみなどです。今回、齋藤美衣さんの著書『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(医学書院)を読みました。この文章には、中学3年生のときの壮絶な体験から、自己を見つめ、本来の自分を取り戻そうともがき続ける一人の女性の姿が描かれています。それは、もしかしたらあなたの心の奥底に眠る感情と深く響き合うかもしれません。
著者の齋藤美衣さん(以下、美衣さん)は、この本を「死にたい」という気持ちが毎日やってくる理由を探すために書き始められたと言います。多くの人が「死にたい」という感情を、内側から湧き上がるものだと捉えがちですが、美衣さんは「私の『死にたい』は内側から湧いて来るのではなく、突然外側からやって来る」と表現されています。この言葉は、自らの意思とは無関係に、まるで侵入者のように心に入り込んでくる苦しみの生々しさを物語っています。なぜ、こんなにも強く「死にたい」という衝動が襲いかかるのか。その謎を解き明かすために、美衣さんの思春期にまで遡ります。
美衣さんの苦しみの原点には、中学3年生という多感な時期に刻まれた、過酷な体験が深く関わっています。彼女は、この時期に急性白血病を患い、「20歳までの寿命」と告げられながらも奇跡的に生き延びました。しかし、同じ病院で入院していた同世代の男の子が亡くなったドキュメンタリーをテレビで見て、「それ以降も生きている罪悪感」に苛まれます。このことによって、自身の生命に価値を見出せず、深い心の傷となりました。
もしかして、「亡くなるのは私だったかもしれない」という思いと、人の死を本人の承諾もなく勝手にドキュメンタリーにされることに憤りを感じ、自身の生命に価値を見出せない、深く複雑な心の傷となりました。生きていること自体が、なぜか「申し訳ない」と感じてしまう。そんな理不尽な感情に、美衣さんの心は蝕まれていったのです。
さらに、両親との関係も、その後の人生に大きな影を落とします。両親は彼女に白血病の事実を隠し、娘に強くなってほしいという思いから、一時帰宅の際に日記や本を意図的に目につく場所に置いたと言います。しかし、そこから事実を知ってしまった彼女は、次のように言っています。「事実を知ってしまった罪悪感と、誰も知らせてくれないことによる孤独感に苛まれていった」と。
親の「強くなってほしい」という願いは、子どもにとっては時に「弱い自分を見せてはいけない」というプレッシャーとなり得ます。思春期の美衣さんの感情は「なかったこと」にされてしまったのかもしれません。そして、自分が勝手に日記や本を見てしまったことへの「罪悪感」もまた、彼女の心を深く蝕みます。この体験は、彼女が両親の間で「良い子」を演じていた過去を思い出させ、それが自分の本当の感情を押し殺し、自分自身を大切にしない生き方へと繋がっていったのだと理解したと言います。美衣さんは、このような経験を通して「自分自身のことを大切にしてこなかった」ことに気づき、そのことで「自分の中が変化していった」と言っています。これは、長く抑圧されてきた感情が、ようやく意識の表面に現れ始めたサインだったのかもしれません。
私はここまで読み進めたときに、「みる」ことの持つ深い意味を改めて感じました。この本の冒頭部分で、自殺未遂の後、措置入院という状況に置かれた美衣さんが、病院で「待つ」ことを強いられ、感情を抑え込むしかなかったという記述は、胸に迫るものがあります。主治医や看護師の指示に従い、本心を隠して耐え忍ぶ美衣さんの姿は、まるで『傷の声』の著者、齋藤塔子さんが経験された措置入院の状況と重なるようにも思えます。
美衣さんの入院中の描写からは、患者さんが「見られている」ことはあっても、「看られている」とは言いがたい状況が伝わってきます。なぜ自殺を図るに至ったのか、その根源にある苦しみに寄り添うよりも、ただ「自殺」という行為にのみ焦点が当てられているように感じられます。死を選ぶほどの苦しみを抱える人は、その気持ちをどうすることもできないからこそ、その選択に至ってしまうのではないでしょうか。もし、その苦しみから解放される道があるのなら、きっと多くの人が生を選ぶことができるはずです。
病院という場所で本当に大切なのは、自殺未遂という事実にのみ目を向けるのではなく、患者さん一人ひとりの心に寄り添い、安心と安全を感じさせてあげることなのではないかと思います。この世界は安心できる場所ではないと感じているからこそ、この世を去ることを考えてしまうのでしょうから。病院では治療も大事ですが、病院こそが、まさに安心できる避難場所でもあるべきだと強く思います。
美衣さんのご両親についても、深く考えさせられました。もし、日頃から美衣さんのことをもっと「みて」あげられていたら、「強くなってほしかったから」という言葉は生まれなかったでしょうし、もっと美衣さんが安心できるような関わり方のほうに意識が向いていたのではないでしょうか。
美衣さんの抱える罪悪感や孤独感の苦しみは、病気になってから突然始まったものではなく、もしかしたら幼い頃から、ご両親が美衣さんの心をしっかりと「みる」ということができていなかったことに起因しているのではないか、という切ない思いが胸によぎりました。
次回は、さらに深く、これらの感情がどのように「死にたい」という衝動と結びつき、彼女の「心の庭」に埋められたものが何なのかを探っていきます。
信暁(2025年7月10日)