自分にとってのマインドフルネス(続き)
2025年08月14日 13:10
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前回、「日常の中でふとした違和感に気づき、それに留まりながら内面を見つめることで、奥にある声に出会うことがあります。そして、そのひとつひとつに気づき、自分の奥底に眠っているものを掘り起こすことによって、自分の生きづらさに変化が起こってきます」とお伝えしました。
私の場合、イライラすることがきっかけとなり、YouTubeの理不尽な動画を見る頻度が増えていきました。その行動の背景を見つめていくと、奥底に眠る「自分の気持ちを分かってほしかった」「そのままの自分を見て欲しかった」「自分の寂しさを分かってほしかった」という感情に出会った、ということを前回お話ししました。
これらの気持ちとの出会いは、心を開いてくれるような体験でした。しかしさらに深く見ていくと、私の人生に多大な影響を与えた感情が、静かに佇んでいました。そこには、羞恥心、罪悪感、孤独感、猜疑心などがあり、「強くあらねば」という思いや「情けない」という思いを抱えている自分がいました。これらは、普段意識に上ってこない、無意識の領域(潜在意識)にあるものでした。
日常生活で自分自身に問題(人間関係、恋愛、親子関係など)が起こる度に、こうした感情が無意識の反応として出てくるため、自分が望むような結果が得られないことがしばしばあります。
こうした感情は、過去の記憶としてからだの中に刻まれているものなのです。たいていの人は、幼少の頃にこの感情が芽生えています。特に、親からの影響が大きいのです。幼い子供は、親から受けた理不尽な扱いやコントロールに対して「良い・悪い」の判断はできませんが、「嫌な感じを感じる」という感覚は、赤ちゃんの頃から備わっているものです。その感覚を通して、成長と共にさまざまな感情がからだに蓄積されていくのです。
成長過程では、日々の生活に追われているので、こうした感情を処理する余裕はなかなか持てません。しかし、からだに蓄積された感情が影響し、友達関係、親子関係、学校、就職、恋愛、結婚の問題に発展する場合があります。30代ぐらいになり、ある程度自分自身を見つめる時間が取れるようになり、ようやく自分の内側にある問題に気づくようになってきたりもします。大脳新皮質の発達が20代後半に落ち着くことに関係しているのかもしれません。
では、なぜ羞恥心や罪悪感、孤独感、猜疑心などの感情が眠っているかということを考えてみます。これらの感情の背景には、親への感謝と「分かってほしかった」という思いとの葛藤があります。年齢を重ねてもなお残るその感情に対する羞恥心や、親が自分よりも自身の感情を優先していたことへの猜疑心、誰にも本気で向き合ってもらえなかったという孤独感などが含まれています。
通常、この感情は出てきたときにはこのように簡単に小分けされていません。複雑に絡みあっています。そして、今まで封印してきた怒りという感情も含まれています。この怒りは、理不尽さや無理解に対する自然な反応であったのです。しかし、この行き場のない怒りは、感情と共に長く抑圧されてきたので、心身に影響を及ぼし生きづらさの原因にも成っています。
こうした感情や怒りは、ある意味トラウマと言えるのです。「幼少期に受けた傷」と言ってもいいでしょう。だからこそ、この感情と怒りを自分の中から解放させてあげることが、自分自身の本当の人生を歩むことへも繋がってきます。
この感情を自分の中から見つける作業は、まさに齋藤美衣さんが著書『庭に埋めたものを、掘り起こさなければならない』で表現していることと重なります。
今の私は、潜在意識に記憶されている感情があることに気づいているので、いつも何かが心に浮かび上がったときには、この感情までアクセスできます。「怒り」が出てきたときには、その怒りを感じ、解放させてあげています。
初めてこの感情に出会ったときは、大袈裟に言うと「この感情が私を形作っていたのか」と思い、幻滅しました。しかし同時に、この感情が私を守ってくれていたのも事実でした。だからこそ、ゆっくりとこの感情と向き合い、必要のない感情は少しずつ解放していきました。これからも、常に「いま・ここ」の状態でマインドフルネスになり、自分自身と丁寧に向き合っていきたいと思っています。
RERAっぽでは、この感情や怒りに気づき、解放させることによって、自分の生きづらさを解消していくお手伝いをさせていただいています。もし心に響くものがあれば、あなたもご自身の内側にそっと目を向けてみませんか。潜在意識に眠る感情とそれに含まれる怒りに気づき、やさしく解放していくことで、生きづらさが少しずつほどけていくかもしれません。
信暁(2025年8月14日)