意識の向き(外から内)が変わるとき、気づきが生まれます
2025年08月22日 15:38
(北海道:双湖台)
前回、前々回、イライラしていることに焦点を当て、〈いま・ここ〉に意識を置いた状態で内面に目を向けることによって、奥底に眠っていたものや、さらには潜在意識に隠れていた感情に気づいていくプロセスに触れました。こうした感情は、頭で考えるだけでは見えてきません。自分の内側に意識を向けることで、ようやくその存在に気づくことができるのです。
言い換えれば、自分の奥底に眠っている感情に気づくには、内側へ意識を向けることが必要なのです。ただし、その前提として、「(イライラの)奥に、何かがあるのかもしれない」と思うことがとても大切です。そう思えなければ、感情はただ通り過ぎてしまい、何も感じ取ることができません。
いま振り返ると、「イライラすることの奥に何かあるのかもしれない」なんて、以前は考えたこともありませんでした。イライラしたときは、飲んで憂さを晴らしたり、からだを動かして解消したり、どうしてもしんどいときは誰かに聞いてもらったりしていました。しかし、誰かに聞いてもらうと決まって「説教される」ということになってしまい、次第に誰にも話せなくなっていきました。だから、イライラしながら悶々とする日々を過ごすようになっていったのです。
そのうち「何をしてもイライラは解消しない」と思うようになり、「どうして?」という疑問がいつも頭の片隅に残るようになりました。そして初めて、「もしかしたら、自分の中に何か問題があるのかもしれない」という思いが浮かびました。それまでずっと外側に向いていた意識を内側に向けたのです。
しかし、いままで自分の内側に目を向けようと思ったことなどなかったので、どうすればいいのか分かりません。とはいえ、これは自分自身のことなので、誰にも相談できませんでした。というのも、また「説教される」という思いも出てきたからです。本当は、こんなことを思っている自分を知られたくなかったのです。
そんなとき、たまたま立ち寄った本屋で、運命の本と出合いました。その本のタイトルは『自分に気づく心理学』(加藤諦三著)でした。その本には、自分が知りたかった内容が詰まっていました。その本をむさぼるように読み、自分がいま苦しんでいる状態になっていることは、こういうことだったのかと知らしめられました。それにより、自分の生い立ちに対しても深く考え、家族関係、他人との人間関係で苦しむ結果となっていたことが理解できました。
しかし、理解したからといって、いきなり苦しみが解消されるわけではありません。 今度は、自分の過去の出来事を思い返しては、「あの時はこうやった」「この時はああやった」と本の内容と照らしあわせながら、過去を悔やみ始めました。そして、気づいたのです。自分の内面に意識を向けていたつもりでも、自分の外側での出来事との対比でみていたに過ぎなかったということに。
その後も、理学療法の学校でも就職先の病院でも、人間関係の問題に何度もぶつかりました。もう本気で自分を変えたいと思うようになり、手塚郁恵さんのマインドフルネスセッションを受け、それをきっかけに、マインドフルネスのコースを2年間受講しました。
その時初めて、〈いま・ここ〉に意識を向ける大切さに気づかされました。頭で考えるのではなく、〈いま・ここ〉で自分のからだに意識を向けて感じることにより、自分の内面に気づいていくということをやりました。このことを通して、自分がどうして内面に意識を向けていても自分の感情に気づかなかったかを理解できました。
それまでの私は、自分の感情を他人の中に映し出しては、それを追いかけてばかりいたのです。自分の感情を追いかけるばかりで、感情に翻弄されていました。だから、自分自身が落ち着いたところに居なかったのです。
でもマインドフルネスになり、〈いま・ここ〉を意識するようになり、少しずつ自分に変化が起こりました。感情に翻弄されているときは、現在の年齢の自分が居るのではなく、例えば、幼少のとき、学生のとき、20代のとき……、とその時その時に感じていた感情の中に居る過去の自分であっただけなのです。けれども、自分が〈いま・ここ〉に居さえすれば、その時々に感じた感情だけを〈いま・ここ〉に持ってきて感じることができるのです。けっして、過去の感情を追いかけるのではなく、自分の〈いま〉に感情を持ってきて、感じるのです。
そうすることで初めて、自分の中に気づきが生まれます。この「気づき」が、自分の奥底を見ていく第一歩となるのです。
例えば、人間関係で何か問題が起きたとき、怒りや悲しみ、悔しさなどの感情が出てくることがあります。すると、その感情に振り回されてしまい、ますます苦しさが増してきます。しかし、そういったときに、その感情を自分が追いかけるのではなく、〈いま・ここ〉に自分の内側に相手の言動と共にある感情を持ってきて静かに感じてみることです。相手の中に映し出された自分の感情を、自分自身の〈いま〉の感覚として受け止めてみるのです。そうすることで、感情の本質に気づくことができ、問題の背景にある自分の反応や想いに気づきます。その気づきが、関係性の中での新たな理解や、解決の糸口となっていくのです。
それには、「まず外側に向いている意識を自分の内側に向ける。そして、自分自身は〈いま・ここ〉の状態にいることを確かめる。決して感情を追いかけるのではなく、感じている感情を〈いま・ここ〉の状態で頭ではなくからだで感じる」。そうすることで、「気づく」ということができるようになってきます。
「気づき」は、自分の奥底を見つめる第一歩と言いました。しかし、その一歩には、安心して感情を感じられる「安全な場」が必要なのです。
次回は、その「安全な場」について見ていきたいと思います。
信暁(2025年8月22日)