「偽った自分」と向き合う
2025年09月29日 10:33
幼い頃から、私は“自分を偽る”ことで生き延びてきた。
物心ついたときから、家族の中で怒られることが日常だった。とくに母は、私を長男のように厳しく育てた。兄たちのときは義理の母と同居していたため、思うように子育てができなかったと語っていた。だからこそ、私には“理想の子育て”を押しつけたのだろう。母の思惑に気づかない幼い私は、ただただ怒られ、否定され続け、自分の心を閉ざしていった。
兄弟げんかをすれば、理由も聞かれず、いつも私が先に叱られた。「喧嘩をした」という事実だけで、私が悪者になった。私は「何もなかったふり」をして、心の中で叫び続けた。「話を聞いてほしい」と。
毎日、怒られ、騙され、無視され、都合よく扱われる。その繰り返しの中で、私は「消えてしまいたい」と思うようになった。でも、怖がりな私はそれすらできなかった。だからこそ、偽った自分を演じるしかなかった。明るく振る舞い、何も問題がないように見せかけながら、心の奥底にはドロドロとしたネガティブが渦巻いていた。
その仮面は、他人との関係にも影響を与えた。小学校では先生に理不尽に怒られ、時には叩かれることもあった。友達とも表面的な関係しか築けなかった。喋ったこともない人から嫌われることもあった。今思えば、母や兄弟から受けたコントロールを、無意識に他人に再現していたのだと思う。
コントロールをしていたことに気づかない私は、友達ができないことに悩み続けた。ただ、自分の根底に「偽った自分」がいる限り、何をしても、誰といても、うまくいかないのは当然だったのだと、時を経てようやく理解した。そして、本当に何をやっても、何を言っても誰からも理解されないことにほとほと嫌気がさした。
40歳を過ぎようやく気づいた。偽った自分がいる限り、何をしても、誰といても、うまくいかないのは当然だったのだと。
そして、私は「自分をみつめる」ことを決意した。マインドフルネスのセッションやワークを通して、自分の中にあるネガティブな感情と向き合った。そこで初めて、常に「自分が悪いからこんなことが起こる」と思い込んでいたものは、母のコントロールにより「自分が偽らないと生きていけない」という思い込みであったと気づいた。その瞬間、胸が張り裂けそうになった。私は、こんなにも長い間、自分を偽って生きてきたのかと。
希死念慮が湧き上がるほどの苦しみの中で、それでも私は「自分をみること」を選び続けた。電車に飛び込みたい衝動、ビルから飛び降りたい衝動。それらを何とか回避できたのは、「自分と向き合う覚悟」があったからだ。
今振り返ると、幼少期に受けた理不尽な扱いが、私の中にネガティブな自分を作り出し、それを隠すために偽った自分を演じてきたのだと思う。だからこそ、ネガティブな感情に寄り添い、逃げずに見つめることで、偽った自分が少しずつ溶けていった。
もちろん、すべてのネガティブが消えるわけではない。今でも、ふとした瞬間に幼少期の影が顔を出すことがある。でも、そのたびに私は立ち止まり、ネガティブに寄り添う。逃げずに、否定せずに。
偽ることをやめた今、少しずつ生きやすくなってきた。これからも、偽らずに生きることを選び続けたい。それは、私自身が真の自分として生きていくために。
信暁(2025年9月29日)