トラウマの館に帰って
2025年12月13日 19:49

帰省して
久しぶりに実家へ帰りました。前回のブログで「トラウマの館」と呼んでいましたが、まさしく言葉どおりでした。家が近づくにつれ、胸の奥が締め付けられるようになり、声は自然に出なくなり、呼吸も意識して一生懸命しないと続けられないほど苦しくなりました。全身が緊張し、肩や背中が固まっていくのが分かりました。そのとき、「ああ、自分はこんな状態で長い間この家に居たのだ」と、身体を通して過去を実感しました。
家に着くと、外から見てもどんよりとした空気が漂っているように感じました。玄関を開けて中へ入るとき、ただ扉を通るだけではなく、目に見えないベールをすり抜けるような感覚がありました。母が一人で暮らす今の家は殺風景で寂しさが漂っていましたが、かつての面影は確かに残っていました。家具の配置や壁の色、部屋の中の空気感が、過去の記憶を呼び覚ましました。
過去の自分との再会と気づき
滞在中、様々な記憶が蘇りました。何故か、12歳の時に飼っていた犬が亡くなったときのことが出てきました。深い寂しさと、その後に家族から受けた心理的な抑圧。その感情を辿っていると、突然12歳の自分が家の中を歩いている姿が浮かびました。続いて中学生の私、そして20歳を過ぎた私が順に現れ、それぞれの時期に抱えていた思いや感情がそのまま蘇りました。驚いたのは、三人とも同じ感情を持っていたことです。つまり、12歳から20代前半まで、私の内面はほとんど変わっていなかったのです。身体は成長しても、心は子どものまま。学生時代に同級生に馴染めず生き辛かった理由が、ここでようやく腑に落ちました。
当時の私は、舐められないようにと強さを誇示し、周囲に溶け込めず一人でいることが多かったのです。それは家族の中で居場所を求めて彷徨っていた姿と重なります。20歳を過ぎてもどこか子供っぽさが抜けず、自分を守るために強がり続けていたのです。
母との関係とトラウマの解放
今回改めて気づいたのは、母からのコントロールでした。「私には分からないからやって」「昔はこんなこと無かったから分からない」と言われ、罪悪感を植え付けられながら手を貸す。その他の場面でも指図され、母の思うままに動かされる。まざまざと「支配する人」としての母の姿が浮かびました。そんな母を前にして、「このまま自分に気づかず人生を終えてしまうのか」と思うと、哀れさも感じました。
これほどはっきりと自分自身や母の姿を見つめられたのは初めてです。長い間向き合ってきたトラウマが少しずつ解放された、その結果として、過去の自分や母との関係が手に取るように理解できるようになったのだと思います。
今回の帰省は確かに苦しい体験でしたが、同時に大きな気づきの機会でもありました。以前からトラウマを直視することで、過去の自分が抱えていた痛みを少しずつ癒してきたことが、母との関係を、感情に巻き込まれず客観的に見つめ直すことにつながりました。
トラウマは些細な出来事からも
トラウマは決して大きな出来事だけで生まれるものではありません。幼い頃に起こった些細なことでも、心に深く刻まれ、長い間影響を与え続けることがあります。大人から見れば取るに足らない出来事でも、子どもにとっては大きな衝撃となり、その後の生き方や人との関わり方に影を落とすのです。だからこそ、幼少期の記憶の中で、思い出すと胸が苦しくなったり嫌な気持ちが蘇るものがあるなら、それはすべてトラウマの断片だと言えます。そして、その断片は確実に今の生きづらさに繋がっています。
私は、そうした些細な出来事も見逃さずに一つひとつ向き合い、解放してきました。その積み重ねがあったからこそ、今回の帰省で母との関係を冷静に客観視できたのだと思います。これからも、記憶の中から小さな出来事が浮かび上がってきたときには、その時の感覚や感情がどのように反応しているかを丁寧に見つめ、そこからトラウマの解放を続けていきたいと思います。
あなたへのメッセージ
もしかすると、あなたの中にもまだ気づかれていないトラウマが隠れているかもしれません。それを見つめることは勇気のいる作業ですが、少しずつ向き合うことで、生きづらさから解放され、心が軽くなる瞬間が訪れます。過去に縛られた自分を解き放ち、生きづらさから解放されてみませんか。
信暁(2025年12月12日)