とどまる、感じる、ひらく

コントロールされたくない

2024年04月03日 16:24

 「息子たちが誰も電話をかけてこない」と一人暮らしの義母が周りの親戚に愚痴をこぼしているらしい。私も以前電話したときに、「1か月に1回ぐらいは声が聞きたいから電話してって言って」と頼まれた。言ったらよけい電話したくなくなると思いますよ、と言いたかったけど、言うとさらにややこしくなりそうなので言わずにいる。うちの息子たちもまったく電話してこないし、私もまったく電話しませんよ、と言ってみようかとも思ったけど、何の慰めにもならないから、やっぱり言わないでいる。


 私と両親との関係でも、似たようなことはよくあった。大学を卒業して一人暮らしを始めた頃は、母から週に一度は電話するようにと言われていたので、言いつけを守って(⁉)電話していた。結婚して子どもが生まれてからは、忙しくて言いつけを守るどころではなかったが、それでもしばらく電話してないことを思い出すと、向こうからかかってくる前に電話しなきゃ、と焦りが出る。焦るのだが、したくない気持ちとしなきゃまずいという気持ちがせめぎ合い、なかなかできない。結局、<しなきゃまずい>のほうが勝って、電話する。つまり、恐怖にコントロールされて電話していたのである。

 うっかりしばらく電話しないでいて、向こうからかかってきてしまうと、受話器を取って声を聞いた瞬間に、からだが固くなってしまい、受話器を置いたときには、安堵とともに何ともいえない嫌な気持ちに支配されていた。と、いま思い返せばありありとわかるのだけど、当時はできるだけその気持ちを感じないようにしていたので、自分に対して、何もなかったように平然と振る舞っていた。


 離婚して、セラピーを受けたりしながら自分と向き合い始めると、自分がどれだけ親に支配されているかというのがよくみえるようになった。

 私は、「18になるまでは親に絶対服従」と言って育てられた。なので、18になるまではまったく自分というものを持たず、親の考え・価値観=自分の考え・価値観として生きてきた。ありがたいことに18になったら本当にその支配から解放してはくれたのだが、幼いときに出来上がってしまった「コントロールされる自分」はそう簡単にいなくならない。なので、無意識のうちに「コントロールされにいく自分」をやっていることにも、自分ではまったく気づけないでいた。

 「コントロールされてしまう自分」に気づき始めると、いままでのように恐怖が出てきても、それに促されてしぶしぶ電話をすることに対し、何かおかしいと感じ始める。電話したくないからしない、という選択肢があったことに気づく。そして、そちらの選択肢を選んでみるということを、恐る恐るやってみる。用事があっても電話しないでメールで済ませるとか、そんなことを試みていた。


 そんなある日、父から長い長いメールが届いた。内容の大半は忘れてしまったが、要約すると、メールより手紙、手紙より電話のほうがいい(心がこもってるとかなんとかそんなことだったような)、ということと、お母さんが心配するから電話しろということ。母をダシにするというのも卑怯だし、そう思うなら自分で電話してくればいいのに、なんでこっちからしなきゃいけないんだと無性に腹が立ち、こっちは簡潔に短いメールを返した(と思う。はっきりは覚えてないけど)。私の返信の中身は「電話は好きじゃないので、なるべくしたくないです」というもの。

 送信ボタンを押した後、数日はビクビクだった。いつ父が怒り狂って電話してくるかと。けれども、そのメールに関しては、その後まったく何も起こらなかった。たぶん父は、初めて私が自分に対して言い返したので、びっくりしたのだろうと思う。それぐらい、私の中には、物心つく前に植え付けられた父に対する恐怖が居座っていて、父は私を一生支配できると信じて疑わなかったのだろうから。


 それから少しずつ、両親に対して、自分の気持ちを伝えるということをやるようになって、少しずつ関係性が変わっていった。母が亡くなったあとは、父はさらに私のいうことをそのまま「わかった」と聞いてくれるようになり、よくぞここまで変わったなぁと感慨深くさえあった。父が亡くなるまでには、もっといろんなことを素直に話せるようになるかと期待していた部分もあったけど、そうなる前に父の進行性胃癌が見つかり、あっという間にからだを離れていってしまった。ちょっと残念ではあるが、まあここまでこれたから上出来だよね。


 義母もいつか自分が息子をコントロールし続けてきたことに気づいてくれたらいいなとは思うけど……、まずはその前に、私自身が義母に対してつい貼ってしまいたくなる<コントロールする人>というラベルをピリピリとはがして、目の前のその人と向き合うことしかないんだろうなと思う。


ゆり(2024年4月3日)