弟がいない
2024年04月05日 19:55

窓を開けると、川沿いの桜が目に入る。今年は咲き始めたと思ったら雨が降ったり寒かったりで、なかなかお花見日和にならない。そんなときに限って、なぜか花見に来るという、弟が。
長年、両親と一緒に住んでいた弟のことは、親の話からその様子を聞くだけで、よほどのことがなければ連絡を取り合うこともなかった。昨年の夏に父が他界してからは、葬儀のことやら相続のことやらで何かと連絡し合っているが、とはいえ個人的な話をすることもほとんどないし、一人暮らしになった弟が何を考えているのかは、あいかわらずわからないままである。
思い返してみると、子どもの頃の記憶の中に、弟の姿がほとんどない。弟とは2つ違いなので、母と買い物に行くときはいつも弟がいたはずだし、小学校低学年の頃は近所の男の子と3人で一緒に登校していたはずだし、夕飯の食卓には必ず弟も座っていたはずだし、家族旅行のときは当然弟も一緒だったはずなのである。なのに、私の記憶の中の映像には、弟の姿がどこにも映っていない。
なぜここまですっぽりと弟の存在が抜け落ちているのか……と考えてみると、たぶん幼い私は、弟のことを、同じ親に育てられているきょうだいとして認めることができなかったからではないかと思う。
父はよく「三つ子の魂百まで」と言っていた。だから私に対しては、物心つく前にしつけを完了することが父の使命だったらしく、ものすごく厳しくしつけられたらしい。物心つく前のことだから、何をされたのか自分の記憶にはないけど、座卓の前に座らされて箸が持てるようになるまで解放してもらえなかったとか、「煙草」と言ったら煙草とライターと灰皿の3点セットをさっと持って行くまで何度もやり直しさせられたとか……、昔のことだから、ちゃんとやらないとビンタされるとかは当たり前だったみたいだし。
そんな様子を見ていた母は、弟が生まれたとき「この子は男の子だから、あまり厳しくして委縮してしまったらいけないから、私がしつけます」と言ったそうだ。父がそれを了承して、弟のしつけ担当は母になった。母は、弟をのびのびとした大らかな子に育てたかったらしい。というわけで、私と弟は真逆の育てられ方をした。
ある日、母と弟と3人でスーパーマーケットに買い物に行った。そこで弟は、変身忍者嵐のおもちゃが欲しくて、スーパーの床に寝転がりじたばたしながら大声で泣き叫んだ(と後日、母が何度か話していたのを覚えている)。私の記憶のイメージには弟は出てこないけど、馬に乗った変身忍者嵐の人形はありありと浮かぶので、たぶん弟は買ってもらえたのだろう。(デパートの宝飾品売場でダイヤモンドが欲しいと泣き喚いたこともあったそうだ。母は「この子は小さい頃から見る目があった」となぜか息子自慢にすり替えてしまっていたが。)
私の中には、おねだりをするなんて選択肢はないし、ましてやダメと言われているのに泣き叫んで抵抗するなんて自殺行為に等しい。そんなことを目の前でしている子どもがいる、しかもそれが自分の弟だなんて、そんなこと受け入れられるわけがない。そんなことあっていいわけがない。幼い自分がこの状況で暮らしていくことを受け入れるには、弟は、「いるけどいない存在」にしてしまうしかなかったのだろう。
いるけどいない存在だった弟が、ようやくちゃんと存在するようになった。せっかく存在してくれるようになったので、どれくらいかかるかわからないけど、過去のイメージの中の私と弟がちゃんと笑っていられるよう、いまの弟と関わっていこうかなと思う。ようわからんやつだけど。
ゆり(2024年4月5日)