とどまる、感じる、ひらく

あなたの心はキレイなまま

2026年02月07日 18:10

「心が汚れてしまった」と語られるとき

セッションをしていると、たまに「私の心はもう汚れているから元には戻らない」と言われることがあります。この言葉の裏には絶望感と深い悲しみがあります。虐待やそれと同じくらいの辛い体験によって、誰にも言えないほどの苦しい思いがあります。その中で「自分が変わってしまった」と感じることは、すごく自然なことだと思います。

本当に汚れてしまって元には戻らないのでしょうか?

心がすっかり塗り替えられてしまうなどということがあるのでしょうか?

このことについて、考えたいと思います。


「どうしてそう思うのか」を尋ねると

私は、「心が汚れているから元には戻らない」と言われたとき、「どうしてそう思うのか」を尋ねます。多くの人はこんなふうに言います。

・あの出来事が私を変えてしまった。

・あの出来事さえなければ、わたしが私で居られた。

・生まれたときから虐待され、夢を持つことさえ許されなかった。

この言葉の奥には、「本当はこう生きたかった」という切実な願いが隠れています。辛い体験の中で、自分の願いを感じる暇さえなかったのだと思います。


辛い体験の中で、人は「自分を消す」

虐待や辛い体験のようなトラウマになる出来事に遭うと、人は自分を消すという方法を取ります。

・何も感じないようにする。

・自分に起きていることだと認識しない。

・自分を別なところに追いやる。

これは一種の解離と呼ばれますが、何とか生き延びようとする人間の防衛戦略なのです。辛い体験に遭うと心はどうしてもその出来事に心を奪われます。決して、「いま・ここ」には留まっていないのです。


「いま・ここ」でしか働かない心

本来、

・楽しいことを考える

・夢を語る

・未来を思い描く

といった心の働きは、いつも「いま・ここ」でしか働かないのです。だから、辛い体験

の中にいて、それに心を奪われているときには、夢を持ったりする心は、同時に存在できないのではないかと思います。


「生きるための心」をつくる

虐待や辛い体験から生き延びるために、人はもう一つの心の容れ物を作ります。

・傷つかないための心

・感じないための心

・期待しないための心

・自分を責めることで諦める心

いつまでも、辛さの中にいると自分が壊れてしまうので、「生きるための心」を持ったといってもいいかもしれません。

これはその人が弱かったからではなく、生きるために必要だったからなのです。

このもう一つの心は、「いま・ここ」にはいません。実体のない空気のようなものの中に浮いたような存在なのです。しかし、「本来の心」と間近にあるので、「生きるための心」を「本来の心」と錯覚してしまいます。


錯覚が続くと、自動思考が起こる

長い間錯覚して生きていると、いつしか「生きるための心」が「本来の心」であると誤った認識が起こり、それが自動化されてしまいます。

・私は感じることができない。

・私はどうして生きていけばいいかわからない。

・私は汚れている。

・私には価値がない。

・私は壊れてしまった。

・私は夢を持つ資格はない。

これらは、「生きるための心」からの声です。生き延びるために、自分の傷つきを和らげるために身につけた思考だったのです。この思考は、自分が傷つきそうになるといつも顔を覗かせます。これが自動思考となり、いつまでも生きづらさが続いていたのです。自分を傷つきから守っていてくれたものが、生きづらさの原因であるとは皮肉なものです。


「本来の心」とは

では、「本来の心」はどこに行ってしまったのでしょうか? 結論から言うと、「本来の心」はどこにも行っていません。ずっとそこにあったのです。汚れてもいないし、壊れてもいない。自動思考が邪魔をして、「本来の心」を認識できなくさせていただけなのです。自動思考を終わらせることが、「本来の心」を取り戻すことにつながります。


自動思考を終わらせるには時間が掛かる

自動思考を取り除くことは、容易ではありません。長年自分の皮膚に引っ付いていたかさぶたを取り除くようなものですから、痛みも伴います。ゆっくりと絡まった糸をほぐすようにしていくことが肝心です。

辛さの中にいたときの「いま・ここ」は、本当に恐ろしかった場所なので、「いま・ここ」にいることは安全ではないという認識ができてしまっています。したがって「いま・ここ」の感覚にも慣れていく必要があります。例えば、座っているときに、足の裏が床に着いているとわかる、あるいはお尻が座面にしっかり着いていることがわかるなどです。そういった「いま・ここ」を感じていると、ある時「本来の心」が顔を覗かせるときがあります。

・小さな願い

・ほんの少しの好奇心

・自分に対する慈愛の心

・誰かと繋がりたいという気持ち

本来はこういった気持ちが、自分の中に備わっているのです。


あなたの心は汚れていない

あなたの心は決して汚れていません。あなたが「汚れてしまった」と感じるのは、「本来の心」が「生きるための心」に乗っ取られたと思い込んでいるからです。自分を守るために「生きるための心」が必要だっただけです。

「本来の心」は、あなたが思っているほど弱くありません。何物にも汚されることなく、静かにあなたの奥で存在していたのです。だから、あなたの心はキレイなままなのです。

「本来の心」は、あなたの中で静かに息をしています。

あなたが再び「いま・ここ」で生きることで、もともとキレイだった「本来の心」が輝き始め、自分らしく生きていく後押しをしてくれます。


信暁(2026年2月7日)