とどまる、感じる、ひらく

存在に触れる

2024年04月14日 20:50


「人に手を触れているとき、本当のところ何に触れているんですか?」

(中略)質問に答えるには、誰かに触れてみる必要がありました。私はジュリアンに頼んでギターを引いてもらいました。すると、すぐにわかったのです——私は彼の美しさに触れていたんだ、と。誰であれ、いつであれ、人が実際の自分を探り当てようとしているとき、そこには美しさがあります。

 だから人に手を置くとき、本当のところ何に触れるのかというと、その人の美しさに触れるのです。

  ——美しさについて

  『存在に触れる ありのままの今にいるということ』トミー・トンプソン著、松代尚子訳


 『存在に触れる』は、アレクサンダー・テクニークの教師であるトミー・トンプソン氏がワークショップや教師養成トレーニングで語った言葉が元になっています。そのためこの本はアレクサンダー・テクニークの本なのですが、実際には「生きる」ことについての本であり、私たちのワークについての本であるともいえます。


 この本の中で著者は、「定義を保留する」ことについて繰り返し述べています。


私たちはよく状況や人やモノを、とても素早く定義します——「おいしいチョコレートケーキだ」「つまらないスタッフミーティングだな」など。何であれ、定義するやいなや自分自身とそれとのあいだに私たちはフィルターをかけます——その定義に合う情報を優先的に通すフィルターです。ある意味、私たちは体験によって知らされるよりもむしろ、自分の期待や予想をベースに自分の体験を管理しているのです。でももしほんの少しでも定義を保留することができるなら、その状況や人やモノについてもっと多くの情報を通すことができます。

  ——定義を保留することについて


 著者自身、こんな体験を語っています。コテージで過ごしていたある日、小鳥が室内に舞い込んで出られなくなっていました。ドアを開け放しておいても、小鳥は部屋の隅にじっと止まって出ていきません。両手でそっと包んで外に連れ出し、空中に投げ上げるようにして放してみましたが、なぜか小鳥は舞い戻ってきます。放そうとするたび、指にしがみつき、飛ぶことを拒みます。そして何度放しても戻ってくるので、近くの木の枝に乗せました。きみは鳥なんだよ、自由に飛んで行っていいんだよ、と。

 その後、居間に戻って著者は気づきます。自分が「鳥は空にいるべきで、私の手に止まっているべきではない」という見方に取り込まれていたために、あの小鳥と一緒に過ごし、対話する機会をむげにしてしまったということに。鳥にとっての「自由」は、飛び立つ自由、空へと戻っていく自由だと定義していたために、この手の中に留まっている自由、自分と一緒にいる自由もあるということに気づかなかったということに。


 私たちは「定義の世界」に住んでいると言えるかもしれません。何にでも定義をつけ、判断や解釈をして、わかったつもりにならないと落ち着かない。そのせいで、ありのままをみるということをまったくしていません。

 「定義」は「思い込み」と言い換えてもいいかもしれません。自分に対しても他人に対しても、自分なりの思い込みを持ち続けていると、いつのまにかその思い込みを強化するようなことばかりをしてしまい、ますますそこから抜け出すことができなくなります。

 まずは自分がどのような定義(思い込み)を持っているのかに気づき、それをいったんわきに置いてみることは、とても大事だと思います。


 定義の保留が持つパワーについて、トミーは次のように語っています。


あなたがずっとレンガの壁に突き当たってきたなら、定義の保留はそこに扉が現れるようにしてくれます。扉でなくても、少なくとも窓は現れるはずです。



ゆり(2024年4月8日)