とどまる、感じる、ひらく

大きな変化と小さな変化

2024年04月18日 18:19

 川のほとりに近所の神社の分祠がある。今朝、その祠(ほこら)の裏に咲いている紫色が目に留まった。


 つい先日まで、桜の花が一輪、一輪開いていく様子に心躍らせ、満開が近づくと、そのわき立つような気配とともに高揚感を感じ、風に舞う花びらに目を奪われ、葉桜になってちょっと寂しいような感じもあり……。春の桜のダイナミックさについ意識をもっていかれがちだけど、足元に目をやれば、タンポポ、ハルジオン、カラスノエンドウなど無数の小さな花たちがいつのまにか咲いている。


 自分のことはどうだろう。まわりで起きたこと、自分でしたことやその結果、いましていることなど、目に見えてはっきりわかる変化に、つい意識がいってしまう。

 わかりやすい変化にばかり意識を向けていると、いつのまにか自分の中の小さな変化に気づかなくなってしまう。小さな楽しみを喜べなくなり、小さな違和感をないことにしてしまうのが上手になる。


 小さな違和感なんて見ないことにしたほうが生きるのが楽だと思っている人も多いかもしれない。けれど、見ないことにして隠したものが積もり積もると、知らないうちに自分の中のスペースがなくなり、小さな楽しみどころか何が楽しくて何が嬉しいのかもわからなくなってしまう。


 ちょっと立ち止まってみる。

 静かにそこにいてみる。

 息をそっと吐いてみる。

 肩の力を抜いてみる。

 自分のからだにやさしく触れてみる。


 たったそれだけのことで、わたしは喜ぶのです。



ゆり(2024年4月18日)