本気になるということ
2024年04月20日 12:39
人生で「本気になる」ということが、自分にとってどれだけ大事であるかということを教えられた2つのことがあります。
1つは、今から11年前、大阪の病院で働いているときのことでした。病院でリハビリをしているとき、いつもリハビリを拒否する患者様がいました。その方は脳梗塞の後遺症で、ほぼ寝たきり状態でした。その方のリハビリを担当するようになって2か月ぐらい経っていましたが、看護師さんには笑顔で接しているのに、私がリハビリを始めると、むす~っとした顔に変わってしまいます。
あるとき、かなり機嫌が悪かったようで、リハビリを始めると私をぼこぼこ殴ってきて、「おまえなぁ、こんなことばっかりしとったら嫌われるぞ」と言うのです。今までは我慢して何を言われても笑顔で対処してきましたが、このときばかりは、「ええですよ。○○さんが良くなるためには、嫌われようが何しようが来てリハビリしますからね」と今までになく真剣に本気になって言い返しました。その途端、その方は静かになり、リハビリが終わってベッドを離れるときに「また来ますね」と言うと、初めて「お~っ」と言ってくれました。
次の日から、リハビリに行くと笑顔で迎えてくださり、座位保持や介助にての立ち上がり訓練などしんどいのにもかかわらず一度も拒否がなくなりました。それから3か月近く一緒にリハビリしましたが、残念ながら透析による合併症から亡くなられました。私にとっては、貴重な体験をさせていただいた患者様であったので、今でも鮮明に覚えており、一生忘れられない体験でした。
もう1つの出来事は、マイセラに行き始めた頃のグループワークのときに郁恵さんから言われたことでした。そのワークは闘うワークで、自分とペアになったのは女性の方でした。自分では真剣にやっているつもりでしたが、遠くから郁恵さんに、「へらへらするな! 真剣にやれ!」とげきを飛ばされました。
そのあと「真剣に怒ったことがない」とも言われました。それから郁恵さんは、「私がやる」と言ってこちらに来て、私の相手になろうとしました。私は少しムカッときて、「それなら、こっちも真剣にやったるわい」とムキになり、一緒にワークすることになりました。もちろん、郁恵さんは高齢でしたので手加減はしました。ゆっくり投げるような感じで郁恵さんを倒したところ、郁恵さんの口から「やっぱり私じゃだめだわ」という言葉が出ました。
それから相手は元の女性に戻りました。相手の女性に真剣にやることを伝え、本気でワークをしました。本気でワークしたおかげで、自分の中から過去の封印していた記憶が出てくるとともに、自分の感覚が喜んでいることにも気づきました。しかし、ワークの間ずっと「真剣に怒ったことがない」という言葉が頭にこびりついて離れませんでした。
よく考えてみると、前のブログで書いたように、以前は「怒ることは恥ずかしいこと」として怒りを感じないようにしていたので、怒るということがどういうことかわかっていなかったのです。郁恵さんに見抜かれたことにより、からだは「バレた」と感じ本気モードになれたのです。
「本気になる」ということは、自分の本質と向き合うことだと思います。
1つ目の患者様の場合、一生懸命考えながらリハビリはしていましたが、どこかで「誰か一緒に手伝ってくれないかなぁ」とか「誰かこの人の担当を代わってくれないかなぁ」などと思っている自分がいました。しっかりと自分自身にも相手の方にも向き合っていませんでした。
自分が本気になったことで、自分の本質と患者様の本質がぶつかり、そのときに相手を潰すのではなく相手の全てを包み込んだことから、ふたりの間に確固たる信頼が生まれる結果となりました。その信頼により、亡くなるまで良い関係を保ったままリハビリが行えました。
2つ目の場合は、郁恵さんに私の本質を見抜かれたことで、私の内面が触発され揺さぶられました。そして、自分の本質へと向かわされました。本気になって自分と向き合い自分自身の過去を含めた自分を包み込んだ結果、自分の本質に気づくことができました。
本気になることは、自分の本質とつながることであり、自分の本質につながることこそが、そこに信頼や愛が生まれるということです。
だから、私はこれからも「本気になる」ということを念頭に人生を歩んでいきます。
信暁(2024年4月20日)