うまくいく・いかないとは
2024年04月28日 13:02
自分がああしよう、こうしようと思ったとき、頭で考えて行動すると、うまくいかない。例えば、自分の中に「他人からどう思われるかなぁ」「こうしたらモテるかなぁ」というような打算的な考えがあるときなどである。
そうではなく、何かわからんけど「こうしたい」というものが、自分の頭以外のところから湧き上がってくるときには、自分のやることがうまくいく。純粋に「それをしたい」だけで、他人が自分の中のどこにもいないからであろう。
幼少の頃からのことを考えてみると、自分で思い立ったことを、そのときの自分の感覚だけでやったことはないように思う。いつも、親・兄弟に否定されたり、批判されたりしないように、自分の気持ちを抑えて無難なところで何事もしていたような感じだ。頭の中が親・兄弟に支配されていたのだろう。
小学校低学年のとき、何を作ったか忘れたが、木の切れ端でのこぎりや釘を使って何かを組み立てた。作るときは誰もいないときにし、作ったものを見つけられて何か言われたら嫌だから、見つけられないように隠したり、見つかっても大丈夫なように形を変えたりしていた。そうこうしているうちに、楽しくなくなって壊したのか、どこかにいってしまった。そんなことがよくあった。
思い立ったときは楽しいことだったはずなのに、実際にやっていることは自分で楽しめない、兄弟や他人からも面白くないと言われ、ますます楽しくない……。どうしてこうなってしまうのか、わからなかったし、何が起きているのかにも全然気づけないまま、年を重ねるだけであった。
結局、自分は親・兄弟のことばかり考えてしまって、本当にやりたいことをやってこなかった……ということに気づいたのは、「自分に優しくすること」について本で読んだ頃からである。自分に優しくするために、自分の本当にしたいことをしようと思い、いろんなことをやってみた。38歳にして理学療法の専門学校に通い始めたのもその一つである。自分の頭で考えたことではなく、自分の内面から湧き上がってくる感覚に従ってやったことなので、他人が自分の中に入り込む余地もなかった。(もちろん専門学校は別の意味で大変ではあったのだが。)
学校を卒業し働き出してからは、自分が喜ぶことをするようにした。仕事では、患者様の身体だけではなく心を癒やすために、自分が考えた遊びなども積極的に取り入れてやってみた。もう「他人にどう思われるか」は、ほとんど考えなくなっていた。
マイセラに行き始めたのもそのころで、もっとやりたいことが加速していった。今まで封印していたTHE ALFEEのライブに行くようになったり、一人旅も気の向くままに九州まで行ってみたり、自分のほんとうに気に入るものだけを買って部屋を模様替えしてみたり……と、自分の新しい発見がいくつもあった。
自分が、如何に頭で考えて行動していたか、40代半ばになってようやく気がついた。他人にどう思われるかではなく、自分がどうしたいかだけを考えながらやるようにすると、自分の人生が楽しくなってきた。確かに、失敗もあるが、それ以上に楽しく生きている。
自分の内面から湧き上がってきたものに突き動かされ、今年からSEP(ソマティック・エクスペリエンシングプラクティショナー)のトラウマ療法のトレーニングコースを受講している。最終的に、マインドフルネスからトラウマ療法をしたかったので、自分にはうってつけのトレーニングコースである。50代半ばからの3年間は長い道のりであるが、楽しくて仕方がない。楽しいということは、うまくいっているのだろうけど、自分の心からやりたいことをしていると「うまくいく・いかない」という考えは自然となくなってしまう。
「うまくいく・いかない」は、自分の内面を反映している。だから、他人を無暗に入らせないことが大事である。自分の内面の感覚に気づき、自分に優しくしてあげることが「うまくいく・いかない」に翻弄されないコツである。
信暁(2024年4月28日)