なぜ母の呪縛からの解放①~⑩を書いたのか?
2024年06月03日 22:25
前回までは「母の呪縛からの解放」というテーマで、10回にわたって書いてきました。なぜ私がこのテーマで書きたかったというと、『母の呪縛から解放される方法』(タツコ・マーティン著、大和書房)を読んで、自分自身の人生において母親からの影響が多分にあったと気づいたからです。
私の人生を振り返ってみると、人間関係において「他人を見下してしまう」「他人の悪口を言ってしまう」「他人から何かを頼まれると『ノー』とは言えない」「他人に好かれようと頑張ってしまう」「他人に誤解されることが多い」「自分がしんどいのに極限まで我慢して頑張ってしまう」「他人に甘えることは良くないことだから、何でも自分で解決する」といったことばかりやっていました。
この本に書かれていた母親のタイプ別で、コントロールマザーの子どもの特徴を見たとき、「あっ、自分のことが書いてある」と思いました。そして、むさぼるように10個のタイプ全部を見ながら、具体的に母親の特徴を考えたとき、「自分の嫌なことをしてくる」「自分の好きなようにさせてほしいのにさせてくれない」「大人になっても自分のすることに口出ししてくる」など、何個かのタイプに当てはまっていることがわかりました。それにより、「そういうことだったのか」と自分が他人との関係で苦しんできた理由がわかったのです。
もしかしたら自分と同じように、母親からの影響が人生に悪影響を及ぼしている人もたくさんいるのではないかと考えました。そういった人が、「じゃあ、私の母親にはどんな特徴があるだろうか」「自分は母親からどういった影響を受けたのだろう」と、自分自身の母親について考え、その上で、少しでも自分の人生の重荷を軽くしてもらえたら……と思い、この記事を書き始めました。
①~⑩までの母親のタイプを一つ一つゆっくりとみていくと、自分の母親に当てはまるものが必ずあると思います。そして、自分の母親のタイプが複数あることにも気づくでしょう。主要な部分としては、最低3つぐらいのタイプを持ち合わせていることが多いのではないでしょうか。
私の母親の場合は、コントロールマザー、建て前マザー、オールドファッションマザーを主に持ち合わせていました。主でない部分では、躾と称する虐待マザー、完璧主義マザーもありました。
母親は、戦前生まれで厳しい家庭で育ったので、男尊女卑が当たり前で、他人の前では自分たち家族をよく見せよう、悪く思われないようにしようと「みっともないことをするな」というのが口癖でした。そして、父親には何も言えない分、子どもにはけっこう過干渉なところがありました。
父親が亡くなったあとは、劣等感マザー、欲求不満マザー、未熟マザーが顕著になってきました。戦時中、8歳のとき親と離れ、田舎に疎開していたので愛情に飢えていたこと、戦後、食糧難で苦労をしていたことが、拍車を掛けたのかもしれません。
自分が幼少の頃、食事時には、戦後の食糧難のことをよく聞かされ、「食べるものを残すな」とよく言われたものです。常々母親の幼少の頃より恵まれていると感じさせられていたので、いろんな理不尽なことを言われて怒られても、我慢して生活をしていました。兄弟(兄2人)がいましたが、親との間で窮屈を感じていたのでしょう、末っ子の私は、不満をぶつけるようなことをよくされていました。だから、自分には家族の中での居場所はありませんでした。
大人になるにつれ、学校や職場で人間関係の問題が起きるとき、なぜか同じようなことで問題となることが度々ありました。
そのときは、何が原因か、はっきりわかりませんでしたが、ものごころついた頃に兄2人から言われた一言、いじめられたこと、5歳のときに長男と結託して母親にだまされたことが常に頭にありました。後に、マイセラのマインドフルネスセッションとワークで、人間関係でつまづくのは、これらのことが原因の一つであると認識しました。
母親は幼少のとき生きるか死ぬかのところで生きていた、自分はそのような苦労はせずに生きることができているので、少々のことは我慢しなくてはいけないと、無意識のところで感じていたのだと思います。だから、だまされても、理不尽な怒られ方をされても、躾という名の虐待をされても我慢していたのだと思います。その我慢が、他人に対して出てしまっていたので、母親にされていた、母親がしていたことと同じようなことをしていたのです。「他人に過干渉になる」「常に人からどう思われているかを考える」「自分さえ我慢すればと思って何でも引き受けてしまう」というようなことが自分の特徴としてありました。
しかし、よく考えてみると、苦労したからといって子どもをだましてもいいことにはなりません。子どもに理不尽な怒り方をしていいということにはなりません。子どもには、子どもの人生を生きる権利があります。それを侵害されたら、怒ってもいいのです。我慢しなくていいのです。しかし、子どもは生きていくために、我慢を生き抜く術とします。その我慢が、のちの人生に暗い影を落とすことの一つになってしまうのです。
私は、マインドフルネスになり、自分の生き苦しさの中での悲しみ、寂しさ、悔しさ、怒りなどを出して感じて手放してきました。人生が楽に生きられるようになってきていましたが、どうしても、生活の中で問題が起こると、「罪悪感を持つ」ということが自動思考になっていました。この「罪悪感を持つ」ということが、どこから来ているのかわからず、いろいろ自分のことを感じたりしていましたが、そのうち「自分の中から消えるだろう」ぐらいにしか思っていませんでした。
それが、この本を読み、自分の母親自身のこと、母親にされてきたことなど、母親の言動と自分の言動をしっかり確認する意味でタイプを一つ一つ吟味し思い出しているきに、自分が罪悪感を「植え付けられた」ことに気づきました。そのことに気づいたからといって、何十年とこびり付いた考えはすぐには剥がれません。どうしても、母親の苦労した人生を思い出し、母親の人生と自分の人生を比べては、無意識の中で「母親のことを悪く言ったら罰が当たる」という考えのもと、自分の中から罪悪感は簡単には消えなかったのです。だから、私は、この罪悪感もろ共、自分の中から追い出すために、母親を、恨みました。恨んで恨んで恨み倒しました。
罪悪感というものは、本当に根が深いです。自分の人生の至る所に関係しています。だから、自分の過去からの人生すべてを思い出す限り見つめ、そこに関わった母親の言動すべてに焦点を当て、自分の感情、感覚をしっかり感じ恨み抜いた結果、過去の母親が罪悪感もろ共自分の中から昇華されました。
母親の言動は多かれ少なかれ子どもに影響を与えてしまうのです。そして、母親の過去の人生がどのようなものであれ、少なからず、罪悪感というものを子どもに植え付けてしまいます。だから、人生で上手くいかないことの多くは、植え付けられた罪悪感と母親の影響が必ず関係あります。
もし、自分の人生を思い通りに生きられていない場合は、どこか根っこの部分に罪悪感と母親の影響が隠れています。自分の中に罪悪感がないか見極め、そこから母親のタイプから母親の特徴、自分の特徴を割り出し、そこをしっかり見つめて、感じて、手放しましょう。そうすれば、自分自身の人生の問題解決の手掛かりとなります。その手掛かりから、道が切り開かれ自分の本当の人生が訪れるようになるでしょう。
私は、自分の人生が訪れるまで、半世紀かかりました。
信暁(2024年6月3日)