未解決な人間関係の問題
2024年06月08日 07:47
私の2回目のブログ記事で、「未解決な人間関係の問題」が噴出した話について、機会があればまた書きますといっていたので、少し間が空きましたが、今回はそれについて書きたいと思います。
私は、相手の反応を見て「怒っているなぁ」「嫌がっているなぁ」というのを感じたり、少しでもこういった様子が見受けられたりすると、途端にからだが反応し、心の扉が閉まってしまいます。そうなると、その相手に何も言えなくなったり、相手から何か言われても反応することが鈍くなったりするということが起きてしまいます。それまで普通に接していても、その反応が起きた途端、その相手と距離を取ってしまいます。本当にそうなのかを、相手から確認することもなく、自分の中だけで結論を出してしまい、相手とは気まずい関係になり、最悪の場合そのまま離ればなれになってしまうということもありました。
その他には、大勢の人といるとき、自分に話を振られたり何か問われたりすることがあると、一瞬のうちにその場の雰囲気、相手および周りの反応に敏感になり、「自分をおとしめようとしているのではないか」「恥ずかしい気持ちにさせられるのではないのか」といったことを考えてから発言しようとしてしまいます。言葉を発するのが怖いのです。だから、無難な答えを考え、自分の一番言いたいことは後回しにして思っていることと少し違うことを言うようになってしまいました。それが誤解を生み、「何を考えているのかわからない」と言われる原因となっていました。
これらのことは、幼少の頃から自動思考・自動反応として自分の中にいつもありました。
これまでの記事で何回か書いていますが、母親と長男に結託してだまされたこと、兄2人に「お前の言うことは訳わからんから喋るな」と言われたことが、自動思考・自動反応になったきっかけだったのです。どういった自動思考かというと、最初に「喋るな」と言われたことにより「この家では大人しくしていないと怒られる」という思い込みが出来上がり、その後だまされたことにより、「自分はこの家にはいてはいけない子」「この家では誰も自分のことはわかってくれない」「自分はこの家では愛されない子」という先入観が無意識に出来上がったのです。その後も、母親に怒られ続け、兄弟には不満をぶつけられていたので、自分に近づいてくる人の顔色をうかがい、少しでも怒っているように感じたなら心を閉じるということをしていました。
学校に行くようになり、先生や友達と喋ることがあっても、ここでも顔色をうかがい、自分が言っても大丈夫そうなことだけを話すということが多かったように思います。こういった自動思考・自動反応が出来上がってしまっていたため、親、先生、友達から「何を考えているのかわからない」と言われるようなことが、度々ありました。
思春期になると、周りの友達が精神的に成長していくのに、自分だけが取り残されているような感じがして焦る自分がいました。そのことをしっかり認識すればよかったのですが、「自分のことは誰もわかってくれない」「自分を好きになる人はいない」という自動思考からくる思い込みがあったので、「どうせ、誰もわかってくれないんやから」と突っぱねて、変な独りよがりなプライドが出来上がっていきました。
幼少の頃の先入観、思春期の変なプライドを持ったまま高校時代を過ごしましたが、ここでも幼少期からの自動思考・自動反応により、本当の友達関係を作るということはできませんでした。
大人になり、自動思考・自動反応は自分が弱いからなると思い、スポーツクラブで身体を鍛え、職場もあえてブラック企業を選んで働きましたが、まったく変わりませんでした。それどころか逆に、自分の隠していた部分が、顕著に表れてしまったのです。
それからは、心身のことに目を向け、合気道に通ったり、思考から変えようと思いマーフィーの本やナポレオン・ヒルの『思考は現実になる』という本を読んだりしていました。こういうことをしているうちに、自分ができているように錯覚していたのでしょう。しかし実際には、自動思考が起きてもどこかに消し去ることをしていただけで、根本的には何も解決していなかったのです。
38歳で理学療法の学校に通い始めてから、幼少の頃の自動思考・自動反応、思春期での変なプライドが表に出てきました。学校は夜間部でしたが、同級生は年下が多かったので、「自分がしっかりしないと舐められる」という思いがどこかにあったと思います。これは、「誰も自分のことを好きになってくれないのだから、せめて舐められないようにだけしよう」という思考から来たものでした。
学校では医学的なことを習うので、班になって実習をするということがけっこう多かったのです。その班が自分にとって曲者で、幼少のときの自動思考・自動反応が出る格好の場となりました。それにより、学年が上がるにつれ自分が針のむしろに座らされているような感じがまざまざとありました。3、4年生になると2か月の長期実習がありましたが、そのときは職場の問題もあり、最悪の状態での実習となりました。
結局、理学療法の学校も高校生のときと同じで、人間関係の問題が顕著に出たことにより、楽しい学生生活とは程遠い苦い思い出となりました。
私の未解決な人間関係の問題とは、以上のようなことでした。 こういうことが、のちにマインドフルネスワークへの道に自分が行くきっかけとなったのです。
普通の人は、人との場は「コミュニケーションの場」であるのだと思いますが、私にとっては「防衛反応の場」でしかありませんでした。いまでも、少人数の場合は大丈夫なのですが、大勢の人のいる場に行くとやはり防衛反応が出ます。しかし、以前の私とは違い「また防衛反応が出ているなぁ」とどこかで俯瞰している自分がいます。その反応に自分が持っていかれることもありません。随分と生きやすくなり、こういうことも書けるようになりました。
自分の未解決な人間関係の問題は、幼少~思春期の頃にあった自動思考・自動反応により起こっていました。自動思考・自動反応は自分の無意識の中に隠れている部分なので、自分で自分の中を見ていかないと気づくことはできません。
気づくことにより、初めて手放すことができるのです。手放すといっても、どこかに追いやるのとは違います。ここでいう「手放す」とは、自動思考・自動反応が出てきても、そのままの状態で置いておくということです。出てきたものを俯瞰してみるということです。自分自身の未解決な部分に焦点を当てて「自分を見る」ということをすると、自分の中の重りを外して、自分の思い描いた人生に近づくことができます。
私は、いま幸せに生活しており、自分の人生をやっと取り戻してきています。早い段階で気づき手放すようになれば、それだけ早く幸せな人生へと移行できます。
まずは、自分の中を見ることから始めましょう。
信暁(2024年6月8日)