とどまる、感じる、ひらく

先入観は慢性トラウマから生まれる

2024年06月18日 18:51

 9年ほど前、マインドフルネスのワークを受けている頃に、日常生活で自分の中を感じているときに出てきたものを書き留めておいた文章が出てきました。読み返してみると、これほどまでに母親と兄弟から影響を受けていたのだということが、具体的なことからより鮮明に思い出されます。

以下に、その文章をそのまま載せておきます(加筆修正していません)。


***

自分が自分らしく居られない状態になるのは、小さいときのインナー母親が居るから、その母親にいつも見張られてるような感じが今でもある。

だから、その顔色を伺いながら行動をしている。


母親だけでなく兄弟からも何をするにもケチをつけられ、バカにされた。


母親は、あまり楽しそうな感じではなかった。

母親が、よく怒っていたり、不機嫌なときに自分はそばにいた。


それで、自分が悪いから不機嫌であったり怒っていると思っていた。

何とか機嫌よくしてもらおうといろいろ顔色を伺いながらしていた。


それがエスカレートしてみんなの顔色を伺いながら行動し出した。


何も考えずに行動すると、行動をしたあとで、親父以外の家族に批判されたり、笑われたり、罵られたり。冗談半分にしたことから真剣にしたことまで全てに。


だから、どうせ何か言われるなら真剣にしない方がいいと思ってしまっていた。


そうすると、今度は真剣にしない、してないと怒られた。


何をしても「何か言われる」「怒られる」というのがついて回っていた。


それがエスカレートして、何か大事なことをするとき、決断したことを伝えるときなど、「怒られたら」「何か言われたら」とビクビクしてしまう。


自分のことを過小評価するようになった。

過小評価してると、何も言われない、バカにされない、怒られてもダメージが少ないからと考えるようになった。

***


このような文章だったのですが、「母の呪縛からの解放⑤(建て前マザー)」の記事でも書いたように、こういったことが背景にあり慢性トラウマになりました。慢性トラウマになっていたと気づいたのは、何年も経ってからで、これを書いていたときはトラウマとも思っていませんでした。

《母の呪縛からの解放⑤(建て前マザー) https://rerappo.com/articles/2633》


この文章で書き留めたようなことに気づいたことがきっかけで、自分が以下のようなことを信じていたことにも気づきました。これが先入観となっていったのです。これも同じ時期に書き留めていたものです。


・自分にはそれほど能力がない

・本気で自分を好きになってくれる人はいない

・自分を分かってくれる人はいない

・自分は独りよがり

・自分は意味もなく好かれない存在

・自分が頑張らなければ理解されない存在

・自分が頑張らなければ好かれない存在

・頑張ってるから人が寄ってきていると思っている

・自分には存在価値がない

・そのままの自分ではダメ

・人が自分のことを認めるのがわからない

・自分は女性を不幸にする

・面白くない自分は愛されない

・女性には嫌われる

・女性には騙される

・女性は恐い存在

・女性は騙す存在


 この頃の私は、いつも自分の周りの人を見て「嫌われないように」「人に合わせるように」と思いながら生きていたので、まさか自分が、こういった独りよがりな思い込みをしていたのだとは思いもよりませんでした。人間関係で苦しむのは、もっと違うところに理由があるのだとしか思っていなかったのです。だから、気づいたときには愕然としました。

 しかし、私は、自分自身を見ていなかったのです。私は自分のことを嫌っていたので、自分をないがしろにしていました。「母の呪縛からの解放⑩(虐待マザー)」のところにも書いたように、他人からの愛を受け取っていないと同時に、一番愛してほしいはずの自分自身の愛をも受け取っていなかったのです。だから、上記の思い込みが先入観となり、自動思考および成長するごとに自動反応にもなり、それが人間関係で苦しみとして出てきました。このことは、「未解決な人間関係の問題」にも書いています。こういった苦しみをマインドフルネスワークを通して自分を見るということをして、ひとつずつクリアしていきました。

《母の呪縛からの解放⑩(虐待マザー) https://rerappo.com/articles/2824》

《未解決な人間関係の問題 https://rerappo.com/articles/2932》


「自分を見る」ということについては、次回のブログに書きたいと思います。


信暁(2024年6月18日)