とどまる、感じる、ひらく

いつか・こない・いつか

2024年06月27日 18:49

 いつも基本的にのんびりした日々を送っているのだけど、たまたまいくつかの仕事や用事が重なって、なんとなくのんびりできないような感じがある。決して締め切りに追われているとか、今日中にやらなきゃならないことが山積み、なんて状況じゃないのに、やる必要のあることが目の前に控えているような気がして、その控えている気がする見えない何かに脅かされているように勝手に錯覚し、「のんびりしてられない」という状況を自分でつくっている。


 こんなこころの在り様のときは、この忙しいのがひと段落したら、のんびりしよう(いつもしてるけど)とか、映画に行こう(ほんとは今日でも行けるけど)とか、いまではない「いつか」のことを夢想してしまう。はっきり夢想していないときも、なんとなく頭の片隅にそんな感覚があって、それによっていま起きていることから意識を逸らしている感覚がある。


 その意識を逸らしている感覚に気づいたとき、これ、まったく忙しくないときでも微妙にやっているなぁ~、っていうかこれって昔からずっとやってきたな~ということにも気づいてしまった。


 いちばんよくやっていたのは、たぶん子どもたちが小さい頃だったと思う。いつも眠くて重いからだを引きずって、この子たちが大きくなるまでの辛抱だから……と自分に言い聞かせながら、子どもたちのお世話から解放される「いつか」に思いをはせながら日々を過ごしていた。

 もちろんそのように、いまここにない「いつか」に思いを飛ばすことで何とか頑張ってこれたという面もたぶんにあるので、そのときはそうしかできなかったな~とは思うのだけど……、そうはいってもやっぱり、意識をここではないどこかに飛ばすことで、見はぐってしまったこともたくさんあるんだろうなとも思う。


 子どもたちもみんなとっくに成人してしまったいま、意識を飛ばしてまでも頑張らなきゃいけないことなんて何もない。それならもう、いまここにない「いつか」、来るのか来ないのかわからない「いつか」、ほんとに来たときには「いつか」じゃなく「いま」になっている「いつか」に意識を飛ばすのはやめてもいいんじゃないか。


 すでに、つねに、私を受け入れつづけてくれているこの「いま」に、頭のてっぺんまでどっぷりつかってしまえば、そこには平安しかない。


2024年6月27日 母の命日に(ゆり)