とどまる、感じる、ひらく

幼児の感覚とマインドフルネス

2024年07月02日 12:46

 孫が3歳の頃、レゴで遊んでいたことを突然思い出しました。

 3歳ぐらいでは、現実と空想の世界が入り混じっているため、大人のように「これ」とわかるようなものは作りません。しかし、彼女の中では世界が出来上がっており、その世界観をレゴで表現しています。


 彼女が、基礎板(一番下の台座)のいろんな箇所にレゴをはめていくのを眺めていました。大人の私からすると「なぜそこに置く」「そんなところに置いたら倒れるのに」と思うようなところにはめていくのを黙って見ていると、案の定倒れてしまったりするのです。しかし、当の本人は、倒れたのもお構いなしに、また同じように組み立てようとします。何とか倒れないようにはめると、またすぐにほかの場所を組み立てていきます。

 いったい何ができるのかと興味津々に眺めていると、突然「できた!」と言ってきました。そして、何ができたか聞くと「家ができた」と答えながら、ご満悦の様子です。

 こちらとしては、子どもが言うことを無下にはできないので、「よくできたねぇ」と言ってあげました。そう言いながら、幼少の子どもが、形にならないもの、とうてい家とはいえないものを、なぜ「家」と表現するのかに興味を持ちました。

 発達段階から考慮すると、そうなっても仕方がないことはわかります。しかし、それだけでは説明できないものがあるのではないかと常々思っていたので、その時考えてみたのです。


 ふと、自分が子どもになり、子どもの感覚で作ったものを見てみるとどうなるのだろうかと思いました。それで、3歳児の気持ちになり、3歳児の感覚で作ったレゴを見たとたん、「家」に見えたんです。「そんなことは……」と思ったので、もう1度見直しました。しかし、見えたんです。どういう風に家と見えたかは説明できませんが、確かに「家」と見えたのです。

 このときは、自分でもびっくりしました。「まさか」と思ったことが、実際に起こったのです。これには、衝撃を受けました。単なる空想の世界に浸って作っているだけではなく、どこに置けば自分の思い描いている家ができるのかまで考えているのではないかと思いました。このとき、「子どもの能力って計り知れないな」と思いました。自分の子どもに対する発達段階の知識をも超えていると思いました。

 大人が考えているように子どもは何も考えずに生きているのではなく、子どもには子どもの考えがあって、その中でしっかり考えて生きているのだと思いました。


 子どもは、大人とちがって良いも悪いもなく、自分の感性に従って生きています。固定観念すらありません。子どもの世界には「いま、ここ」というものしかないのです。このレゴの一件以来、自分自身の「いま、ここ」の周りで起こっている世界に適応させながら(折り合いをつけながら)、幼少の子どもは精一杯生きているんだなと感じるようになりました。大人が知らない世界で、子どもはすごい発想をしながら生きているのかもしれません。


 私が3歳児の気持ちになり、3歳児の感覚でみることにより「家」であることを認識できたように、私たち大人は、いつでも幼児の気持ちや感覚に戻れるのだと思います。幼児の感覚に戻れるということは、幼児の「いま、ここ」にしかない世界を、大人自身も今すぐにでも感じることができるのだと思います。

 子どもは、生きているだけでマインドフルな状態で過ごしています。そのように生きている子どもは、自分の感覚に従ってすぐに嬉しい、楽しいと言うし、嫌とも言います。やりたいこと、やりたくないこともはっきり表現します。表現することにおいては、大人はかないません。それだけ自分の感覚とともに生きています。このマインドフルな状態で居ることは、子どもにとって何物にも代えがたいのではないかと思います。それが、いろいろなものに対する能力を発揮する土台となっているのです。


 子どもの能力は測り切れません。しかし、その能力は、忘れているだけで自分自身のなかにもあるのです。


 マインドフルネスになり、今一度幼児のときの感覚を取り戻してみませんか。


信暁(2024年7月2日)