感じるということ
2024年07月07日 17:40
Tさんとのセッションでのことです。(ご本人の承諾を得て書いています。)マインドフルネスをしたとき、「感じるということができない」と言われました。どうしてできないのか尋ねると、「とにかく頭が忙しくて感じることができない」ということでした。しかし、頭が忙しいということを感じておられました。Tさんに、頭が忙しいことを感じているのではないかと伝えると、「違うの、お腹が感じられないの」「頭からお腹の方に移っていかないの」と言われました。
私たちのセッションでは、思考よりもからだの感覚に重きを置いています。説明するときは、わかりやすいように、思考を頭、からだをお腹に置き換えて、頭とお腹の違いを例に挙げています。それがTさんには、お腹で感じないといけないという思い込みになってしまい、お腹で感じようとする思いが強すぎて、頭で起こっていることを排除してしまった結果、「感じられない」ということにつながってしまったようでした。
マインドフルネスでは、「いま、ここ」で起こっていることに対して気づくだけです。嫌な感覚があったとしても排除しようとしたりせず、逆に気持ちいい感覚がきたとしても留まらせようとしたりもせず、ただそれに気づいているだけです。Tさんには、頭が忙しければ「頭が忙しい」と気づくだけで、からだの感覚に戻ればいいと伝えました。2回目は、からだの感じを感じることができて、「胸が苦しい」というものが出てきました。
今度は、「胸が苦しい」という感覚に留まって感じてもらいましたが、そこから何かに気づくということはなく、胸のところを感じても「何も出てこない」ということでした。これまでに同じような感じで胸が苦しくなることがあったかなど聞いてみると、人間関係で上手くいかないときがあると「胸が苦しくなっていた」と話してくれました。人間関係の苦しみを何とかしたいということで来られたので、胸が苦しいことの奥に何か隠されているものがあると感じました。
しかし、Tさんは「苦しみから解放されたい」という思いが強すぎるため、感覚よりも思考の方が勝っていました。こういったときには、たとえ感じられたとしても、自分が思い描いている理想の姿に近づけるための偽りの感じ方しかできません。だから、いつも頭で張り巡らされている考えを、まずは出してもらうことをしました。それから、少しずつ話の中で感覚を感じながらセッションを進め、最後は、苦しみはあるものの、楽な気分になられ、次回の予約をして帰られました。
私は、「感じられない」というときには、2つの理由があると思います。1つ目は、感じることを忘れていること。2つ目は、自分が感じたいことが先にあり、その感じの通りに感じられないときに「感じられない」と思うということです
。
前回のブログ「幼児の感覚とマインドフルネス」にも書いたように、幼児のときには「いま、ここ」で起きていることがすべてで、言語能力が発達していない分、自分の感覚とともに生きています。こういうことを、自分自身が忘れてしまっていることが1つ目の理由として挙げられます。大人になるにつれ、頭で考えることが重視され、感覚をどこかに置き忘れたように生きてしまっているのです。そのことが、感覚があるということを忘れ去ってしまう原因となっているのです。
2つ目の理由は、まさにTさんの状態です。「いつもの苦しみが胸にある」「その苦しみを取るために感じさえすれば楽になれる」という思いが先にあるため、そこに自分の感覚を操作する思考が入り込むのです。この思考は、いつも人間関係での苦しみを「こうしたら解放される」と考えるところからきています。だから、Tさんのように感覚の上に乗っているいろいろな思考を取ることからやらないと、感覚にはなかなか気づけないものなのです。「この感覚の上に乗っている思考がある」ということに気づかないと、先に言ったように、たとえ感覚が出てきたとしても「偽りの感覚」となってしまいます。
過去にも、この偽りの感覚により、自分の奥を見ることができない方がいました。その方は肩書がある方で、自分が責められるようなことや追いつめられるようなことがあると、セッションを受けて自分を感じることをされていました。そのとき決まって出てくる言葉がありました。それは、「なめんじゃないよ」「私を誰だと思っているの」というものでした。
私には、その方の奥にある悲しみや寂しさが見えていたので、その悲しみや寂しさを見て欲しいと伝えるのですが、どうしても上記のような言葉しか出てきませんでした。どうしても、その方のプライドが許さなかったのです。その方自身は、いろいろ変化はあったのですが、この部分だけは変わることができませんでした。
このように偽りの感覚は、厄介なものです。自分が変わろうとすること、本来の自分へ戻ろうとすることを拒みます。
感じるということは、幼児の感覚を取り戻せさえすれば簡単なことなのかもしれませんが、成長するにつれ思考が邪魔をして、そのままの感覚を感じる機会が減っていくことにより、感覚をダイレクトに感じることを忘れてしまっているのです。
さらに、生きていく上で自分の立場に変化が起きると、偽りの感覚をつくってしまうような環境も自然とできやすくなるため、知らず知らずのうちに、偽りの感覚で自分をだましながら生きていくことになります。
自分の真の感覚を感じるためには、「いま、ここ」を大事にするとともに、自分に素直で正直でいることが大事なのです。
信暁(2024年7月7日)