とどまる、感じる、ひらく

ほどほどがちょうどいい

2024年07月12日 17:57

 昨日、床の掃除をしていると、突然「うっ」という感じで軽いぎっくり腰になりました。一瞬びっくりしましたが、それほど痛みが出てないので、引き続き掃除をしましたが、終わったあと痛みがどんどん出てきて座っているのもしんどく、横になりました。横になりながら、「最近自分のからだを自己矯正していることが原因かなぁ」と考えていました。

 

 以前はそんなに感じていなかったのですが、歳を過ぎてから徐々に筋力の左右差が顕著にわかるようになってきました。もともと軽い側弯があり、左半身が弱いことはわかっていたので、ここか月前くらいから左半身(特に腰と足)の強化を図っています。それにより、左足や左腰部に刺激が入ってきているのがわかるようになりました。今まで、いかに右半身ばかりを使って誤魔化して動いていたのかがよくわかりました。

 

 最近では、体幹強化にも力を入れはじめました。それにより3日前に仕事場の庭の草むしりをした後、左の腰がだるくなったのですが、大分左に刺激が入るようになったと、だるさよりも喜びが勝っていました。自分の喜びとは裏腹に、自分の左腰は悲鳴を上げていたみたいです。

 

 ぎっくり腰になったとき、自分がマインドフルネスワークをやり始めたころを思い出しました。自分が、セッションをして「自分のことをわかってもらえる人がいる」と感じて、つい嬉しくなり、もっと自分のなかを感じようとしていたのです。 

 やればやるほど、自分のなかが軽くなってきて、マインドフルネスってこんなに楽しくて楽になるものなのかと思っていました。しかし、突然何の前触れもなく、からだにしんどさが襲ってきました。何もかも嫌になり、あれだけ楽しかったマインドフルネスもやる気が起こらなくなりました。

 

 そのことを、次のワークのとき話したところ、ゆっくり自分のなかを見ることによって開けてくるものが、一気に自分のなかを見ようとしたことによって、からだに無理が出たのだと言われました。そしてからだのなかが一気に開けて、それを受け入れるだけの「準備できていませんよ」と警告してくれたのだとも言われました。

 

 すべてのことにおいて、何でも一気にやってしまおうと無理すると、どうしても歪みができてしまいます。今回のように痛みが出てきたり、マインドフルネスをし過ぎたことにより、しんどさに襲われたりなど。わかっていたのにやってしまったことに対しては、呆れるより笑ってしまいました。「身体が弱ってしまう前に強くしないと」という気持ちが大きくなり過ぎました。

 

 やはり、からだも心も同じで、やりすぎることは良くない、「ほどほどがちょうどいいのだ」ということを思い出させてくれました。 


信暁(2024年7月12日)