見る・観る・視る・みる
2024年08月02日 19:34
私たちは、いろいろな情報を五感を通して得ています。視覚で色や形の情報を得る、聴覚で音の情報を得る、嗅覚でニオイの情報を得る、味覚で味の情報を得る、触覚で触り心地の情報を得るといった具合です。その中で、視覚に対して、もっと言うと「みる」ということに対して、日頃セッションをしている観点から考えてみたいと思います。
「みる」といっても、漢字にすると「見る」「観る」「視る」「診る」「看る」などいくつもあります。「診る」という漢字は、病状や健康状態を調べる意味で、医師が患者を診察するときなどに使います。また、「看る」は、見守る、世話をする、介抱するといった意味で、看護師が患者の世話をするときなどに使います。
しかし、「見る」「観る」「視る」の漢字の使い分けは、少し分かりにくいように私は感じます。
この、3つの漢字を辞書小学館、デジタル大辞泉で調べてみると、「観る」「視る」は常用漢字表記読みではないため、通常は「見る」を使用すると書いてあり、はっきりとした意味の違いはよくわかりません。ネットで調べると「見る」は、直接的、間接的に目で対象となるものの存在や状態を認識すること、「観る」は、ある対象となるものを理解しようと能動的に見ること、「視る」は、ある対象のうちの一点の詳細を集中して見ること、視点をある決まった箇所に集中させて細部までよく見る、または見なすこれこれだと判定または仮定すると書いてありました。
私のセッションでは、見るということは欠かせません。相手の方の状態を確認する意味で見ます。そして、話をされているときは、「見る」という観点からは、「表情はどうか」「呼吸はどうか」「姿勢に変化はないか」などを見ます。「観る」という観点からは、「辛そうな感じになっていないか」「トラウマの過覚醒状態に入りそうでないか」などを見ます。「視る」という観点からは、表情などから「どのような感情が出ているのか」、呼吸から「どのような感覚にいま入っていっているのだろうか」などを見ます。
このように私が行っているセッションでは、「みる」ということが、多岐にもわたります。だから、私が使う「見る」は「みる」なのです。決して漢字では表せないのです。
相手の方の内面を理解するためには、言葉も大事ですが「百聞は一見に如かず」ということわざにもあるように、「みるということがどれだけ大事であるか」ということを自分の中では重要視しています。自分のセッションでは、いつもではないですが、今は相手の方を「見れているのか」「観れているのか」「視れているのか」を場面場面で確認しながら進めています。
セッションに来られた方が、セッション中どのような状態になったとしても、「見る」「観る」「視る」の使い分けをしながら、安心して話ができる場を提供しています。そして、自分の中から苦しいこと、嫌な気持ちなど、何が出てきても安心して安全に出せる場所であるように心がけています。
そのうえで、やはり一番大事なのは、ご自身がしっかり自分のことを「みる」ということです。これをしてもらえれば、セッションも何倍も良かったと思えるものになると思います。
私は、これからも「みる」ことを大事にし、少しでも「良かった」と思ってもらえるようにやっていきたいと思います。
信暁(2024年8月2日)