とどまる、感じる、ひらく

コロナになって

2024年09月01日 17:16

 コロナに初めて罹りました。自分の周りでコロナにかかった人は軽症で、すぐに職場復帰した人しかいませんでした。だから、自分もコロナに罹ってもインフルエンザと同じような感じと思っていましたが、まったく違っていました。

 

 最初は、扁桃腺が腫れて熱が出ているだけと思っていましたが、それにしては倦怠感が半端なくありました。病院に行ってみるとやはり「コロナである」と言われました。それからが大変で、高熱で、のどが痛く、ご飯も食べられませんでした。薬を飲まなければならないので、ゼリーを買ってきてもらってそれを食べていました。夜が特に大変で、フラットに寝ると呼吸が苦しくなり眠れませんでした。

 

 コロナ罹患2日後の夜中、眠れなくてどうすることもできないときに、マインドフルネスが頭を過りました。マインドフルネスになろうかと思いましたが、のどが痛くそれどころではありません。だから、「いま、ここ」でのからだの状態を感じてみました。そうすると、「のどが痛い」、「しんどい」という状態から自分が早く逃れたいと思う気持ちがあることに気づきました。気づいてからは、「のどが痛い」、「しんどい」ということを追い出さずに、のどが痛いのはコロナウィルスがからだに居れないように守ってくれている、しんどいのは闘ってくれているからだと考えを改めました。そして、ブッダが言っていた「無常」を思い出し、「何事もひとつのところには留まらない」、「何事も常に変化はしている」ということを思い出し、この痛みやしんどさにもにも変化が現れることを信じ、それからは心穏やかになりました。次の日からは、ご飯も少しずつ食べられるようになり、のどの痛さも和らいでいきました。

 

 コロナの隔離期間が今は5日なので、5日経ったところで「もう寝ていてはいけない」、「寝ていた分取り戻すために早く仕事をしなければ」と自分のからだを無視して起きました。そのころでは、咳が出るようになり夜中もあまり寝ていなかったにもかかわらずです。案の定、呼吸苦も相まって寝込んでしまいました。 

 そこで、また考えました。自分は、いつも自分のことよりも他人のことを考え、それが良かれと思ってやってきました。しかし、それは独りよがりの何ものでもなく、他人に迷惑をかけていることにしかならなかったのです。今回、コロナになったことで妻にかなり心配を掛けました。だから、少しでも元気になったところを見せようと思ったったのですが、それが裏目に出ました。寝込んでいるときに反省し、しっかり自分のからだを治した上で次のことをすることが大事であると、今更ながら悟りました。現在でも、咳の後遺症で夜も眠れていないことが続いています。 

 

 コロナになり自分自身を見つめ直したことにより、何か悪いものが起こると排除しようとする自分がいること、他人のことを考えているようで、結局は自分の独りよがりで動いていたことに気づきました。今までマインドフルネスになり色々と気づいてきましたが、やはり、こういったことでもない限り、理屈ではわかっていたことを自分の中に落とし込んで理解するということは難しいのかもしれません。 


 今回、コロナによって今までにない考えの変化が起きましたが、今以上に「自分の中をみる」ということをやっていきたいと思います。 


 まだまだ精進します! 

 

信暁(2024年9月1日)