とどまる、感じる、ひらく

褒められること

2024年09月09日 18:39

 私は、他人から褒められることに慣れていません。褒められると、すぐにからだがこそばい感じがしてくるのです。なぜか幼少期から、親兄弟からも貶(けな)されることが多かったため、褒められることが自分事とは思えないのです。


 この間、他人から褒められることがありました。自分が話を聞く姿勢に対して、「懐が深い感じがする」と言われました。自分では、クリニックで整体の仕事を、病院や、訪問リハで理学療法の仕事をしているときから、傾聴するということに関しては自信をもっていました。自分が話をすることが苦手なので、聞くことだけはしっかりやろうとしていたからです。

 確かに、話を聞くときは、相手の方が話しやすいような雰囲気で聞くことを心掛け、どういった内容で、どういった感情があるのか、その奥にはどういった感覚が隠れているのかなどを想像しながら聞いています。それと、自分がされていた嫌だったこと(例えば、自分の興味がない話はあからさまに興味なさそうに聞くことや、自分のことに話を持っていくためにどこで話を遮ろうかとすること、話している内容に対して上げ足を取ることなど)は絶対にしないように心掛けていました。


 私にはトラウマがあり、話をする場合には一瞬凍りつきに入ってしまいます。言葉が上手く出てこないのです。急に意見を求められたとき、大勢の場所で自己紹介をするとき、大勢の前で話をするときなど特に言葉が出てきません。それは、幼少の頃から、話をさせてもらえない、話をしても上げ足を取られる、話を真剣に聞いてもらえない、自分の話を取られて違う話に持っていかれるということが、常にあったからです。こういうことから、自分が話してもしっかり聞いてくれる人はいないという考えが自分の潜在意識に植え付けられ、話をすることが怖くなり、結果、話ができなくなりました。


 実際、学生のときに話をした後で褒められたことがありました。それを謙遜しながらも喜んでいると、「わざと褒めたのに喜んでいる」というヒソヒソ声が聞こえてきました。そのときは、穴があったら入りたい気持ちと、他人を騙しやがってという怒りの気持ちが湧き上がってきました。この一件で、自分は他人から褒められない存在ということを強く認識したのだと思います。

 それからというもの、他人から褒められても、「嬉しい」というニュアンスのことは言いますが、本当に喜びの気持ちはなく、また騙されてるのかもという気持ちが常にありました。


 褒められるということに慣れていないと、貶されているほうが受け入れやすくなります。実際、褒められるときは落ち着かないのに、貶されているときは腹立たしさがあるものの、ホッとした安心感の中に自分がいるような感覚がありました。

 マインドフルネスを始めてからも、褒められることには抵抗がありました。しかし、自分の周りに自分を理解してくれる人が、一人また一人と増えていく毎に、自分の中もしだいに変化していき、完全ではないまでも褒められることも受け入れられるようになってきていました。そして、コロナによって自分が幸せであると気づいたことにより、今回話を聞く姿勢に対して「懐が深い感じがする」という褒め言葉をしっかり受け入れられたのだと思います。


 褒められることが苦手という人も多いかもしれません。私は、褒められる経験が乏しかったので、その気持ちが痛いほどわかります。褒められないだけでなく安心感もなかったのではないかと思います。だから、私がセッションするときは、安心した状態で話ができるように、その上で、しっかり話を聞くように心掛けています。


 私は、一人でも自分と同じようにネガティブにどっぷり浸かっていた方の一助になりたい……そう思ってセッションしています。



信暁(2024年9月9日)