感情と感覚
2024年09月21日 18:50
私たちのセッションでは、からだの感覚を感じることを重視しています。けれども、からだの感覚を感じてもらっているうちに、表面に上がってきた「感情」を「感覚」と勘違いしてしまい、その「感情」を出すことで「感覚」を感じていると思ってしまう人がよくいらっしゃいます。それで、今回は感情と感覚について書いてみようと思いました。
感情は、喜怒哀楽のように、嬉しい、腹が立つ、悲しい、楽しいといったものを指します。感情を出すと交感神経が働くので、アドレナリンが出やすく興奮状態にもなりやすいのです。
一方感覚は、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のほかに、寒い、冷たい、痛いなどの体性感覚、お腹が痛いなどの内臓感覚、お腹が空いたなどの内受容感覚(からだの中の感覚)などがあります。
人が、感情と感覚のどちらを先に感じるかというと、まず感覚を感じてから、感情が出てきます。例えば、遊園地でジェットコースターに乗るとき、気持ちが高ぶり、ドキドキして、「わ~楽しい!」「キャ~怖い!」と興奮しているかもしれません。この、気持ちが高ぶる、ドキドキするというのが感覚で、「わ~楽しい」「キャ~怖い」というのは感情です。日頃の例で言うと、蚊に刺されたとします。蚊に刺されて少しすると「痒い」という感覚が出てきます。その後、私の場合は、痒みからイラ立ち、腹が立つ感情がぶわ~っと出てきます。
感覚を無視して常に感情を出すことをしていると、常に興奮している状態となり、交感神経が優位に働いていることになります。そして、落ち着くことがないので、一種の交感神経中毒のような感じになります。そうなると、日常生活で自分の気に入らないことがあると激高してしまう、嬉しいことがあるとはしゃぎ回る、といったことが起きてしまいます。こういったことが起こるのは、自分自身の中に安心できる場所が少ない、言い換えれば、自分自身の耐性領域がかなり狭いからです。
最初に書いたように、私たちが行っているセッションでは、感覚を感じることを重視しています。初めての場合は、話しているうちに感情が高まり、表に出てくることがあります。その感情を感じ過ぎないところで感覚のほうに意識を向けます。マインドフルネスを途中で挟むこともあります。しかし、感情を出し切ることが自分を楽にする道であると思っている方、感情を何が何でも出したいと思っている方は、意識が感覚よりも感情のほうに向いているので、なかなか感覚を感じることが難しいのです。
こういった方の中には、感情と感覚がごちゃ混ぜになっている方もいます。感情は、思考が主に働きます。思考が働くということは、「以前にこんなことがあったから今度もこうに違いない」「こういったことは以前こう感じたから、今度もこう感じればいい」と予測を立ててしまい、無意識のうちに感情をコントロールしてしまう場合もあり得るからです。いつもそのような考え方で感じることをしていると、出てくる感情はいつも一緒で堂々巡りをしていることになります。
一方、感覚というものは、からだに添って出てきます。思考は全く関係ありません。同じことを感じても感情とは全く別のことが出てくるということがほとんどです。
私自身のことを例に挙げると、私はいつも話しているように、母親に騙されました。マインドフルネスをする以前は、そのことを考えると騙したことに対する怒りが湧いてきて眠れないこともしばしばありました。しかし、マインドフルネスによりからだの感覚を感じるようになると、腹立たしさの奥には「あんなことを言われて哀しかった」「自分に愛を向けてほしかった」という正反対のことが出てきました。最初に感じた感覚を全く無視していたので、怒りばかりが出ていたのです。感情をいつまで出しても変わらないのはこういうことです。だから、感情よりも感覚のほうが大事なのです。
自分の感情のほうを握りしめている、あるいは、自分の感情を感覚と勘違いしていると、自分のことなのに、自分の本心がわからないということになってしまいます。なので、まずはいったん思考は脇において、感覚を感じることが大事なのです。
感情をどんどん出すと、自分から嫌なものが外れていくような錯覚に陥ります。そうすることによって、自分が変わっているようにも感じます。しかし、奥底に眠っている感覚は、全く変化していません。
感情に翻弄されるのではなく、静かな気持ちで自分の感覚をみることによって自分自身の安心できる場所が大きくなり、自分の耐性領域が広くなります。
感情の握りしめから解放され、自分の本心を見てあげることから本当の人生は始まります。
信暁(2024年9月21日)