仮面家族
2024年10月06日 19:51
今考えると、私の家族はみんな、「自分ができない」「わからない」ことがあると、そのことを隠していたように思います。
私が幼少の頃、何か教えて欲しいことがあって親兄弟に聞くと、「そんなもの自分で考えろ」とよく言われていました。しかし、自分がわかっていることや知っていることなら、「そんな事もわからんのか」と得意になって教えられたりもしました。自分一人で遊んでいるときに、「何してる?」と聞かれ答えると、「しょうもない」と言われることもありました。
だから、家の中では何をしていても気が休まることはなく、ビクビクしながら生活していました。家族みんながこんな調子だったので、自分の本心は隠しながら生活していたのだと思います。
私は末っ子だったので、母や兄弟が自分の憂さ晴らしのために私にあたるということもしばしばありました。表面上は、躾であったり遊びであったりしたので、幼少の頃の自分は、それが憂さ晴らしであるとは微塵も思っていなかったのですが、大人になり、あの頃のことを回想するようになって初めて、あれが憂さ晴らしであったと認識しました。
思い返すと、母親は、私が言われたことをしなかったりできなかったりすると、突然怒り出すこともしばしばありました。「子どもはこうあるべき」という想いを強く持っていて、それに沿わないことが気に入らなかったようです。
私が小学校のある日、母親と一緒に電車で買い物に行きました。電車で座っていると、高齢者の方が私の前に立ちました。そのとき「代わりなさい」と小声で言われたのですが、立ち上がって「どうぞ」と言うのが恥ずかしくて、代わることができなかったのです。そうすると、電車を降りてから後、母親は一言も口をきいてくれませんでした。
大人になり、この出来事を思い出したとき、そういえば母親自身が自分から高齢者に席を代わっているのを見たことがなかったなあと思いました。結局、自分がしないことを強要して怒っていたのだと。
母親が、憂さ晴らしで兄たちを怒ると、その腹いせに兄たちが私に嫌がらせをしてくることもしょっちゅうでした。勉強を教えると言いながら、わざとわからないであろう問題を出して「そんなものもわからんのか」と馬鹿にする始末でした。
家の中では、「あほか」「何言うてんねん」「くだらん」「自分でやれ」などなど、こういう言葉が、蔓延(はびこ)っていました。今思うと、家の中は殺伐としていました。
そんな状態なのに、母親は口癖のように、「家族は仲良くみんなで助け合わんと」と言っていました。今思うとこの言葉は、ゾッとする言葉です。あれだけのことをしておいてよく言えるなぁ……と大人になってから思いました。
うちの家族は外面が良いので、他の人からは、「みんな仲良くていいですね」と言われていました。母親は、嬉しそうな顔で「そんなことないよ」と言っていましたが。
私が30前、父親が亡くなりましたが、そのあとは兄弟が仲違いし、みんなバラバラになりました。自分の中で、「うちの家族は『仮面家族』である」と決定づけたのは、私が結婚を決め、母兄弟に連絡したときでした。
私は、50前で結婚したので、それまで母は、私が結婚できずに一人でいることが心配で、知り合いに「誰か良い人いない?」と聞いたりしていました。しかし、いざ結婚が決まり電話で報告したときには、「おめでとう」の一言もありませんでした。兄弟からは、「いまさら東京に来ても仕方がないやないか」とか、「俺に親の面倒押し付けて行きやがって」など散々でした。結局、「この人たちは私のことを心配しているようで、自分のことしか考えてなかったんやな」と悲しい気持ちになりました。
家族という言葉に縛られると、「家族とはこうあるべき」「家族の結束が必要」「親に育ててもらったから親孝行するのが当たり前」などという考えによって雁字搦めになってしまいます。
そうではなく、家族というものは、仲良くすることが大事なのではなく、一人一人が独立した存在としてお互いを尊重し、何か必要に駆られたときには一緒に考え、事を成せるようにすることが大事である、と私は思います。
家族とは、最も近い他人でもあるので。
信暁(2024年10月6日)