子どもは素晴らしい
2024年10月20日 16:05
昨日は、双子の孫が遊びに来ました。二人ともパワフルでこっちが圧倒されます。かくれんぼが大好きで、家の中でも「かくれんぼしよう」と言ってきます。あまり隠れるところはないのですが、最近は、以前には隠れることをしなかったソファーの下や布団に丸まって隠れるなど、隠れる場所も工夫するようになってきました。かくれんぼを一緒にしながら、だんだんと知恵がついてきているなぁと感心していました。
公園に行ったとき、二人の性格の違いが感じられました。一人の子は、遊んでいるときに草むらで虫が飛んでいたりすると、それに興味を示して虫を観察していました。もう一人の子は、そんなことにはお構いなしに走り回っていました。遊びの中でも、自分の興味があるものには惹かれてそっちに行ってしまうというのは、羨ましいというか凄いなぁという気持ちが自分の中にありました。
大人になると、自分の気持ちよりも周りの人の様子を考えながら行動してしまいます。それだけではなく、「あの人は周りの人のことを何も考えない」とか「自分勝手」とか言われないようにしようと余計な頭も働きます。どうしても、大人は「こう振る舞うべき」というのが、暗黙の了解のように昔から受け継がれているように思います。その結果、大人は子どものように興味があることに素直な気持ちで向かうことはできないのでしょう。
先ほどの虫に興味を持って見ている子どもも、走り回っている子どもも自分たちが楽しいからそうしているだけであって、誰からも束縛されていないのです。しかし、虫を観察すること、走り回っていることの中から確実に何かを感じ取っており、それが無意識のうちに、その子にとっての知恵となっていくのだろうことがわかります。例えば、以前なら虫を見たらすぐに近寄って行ってしまうので逃げられていましたが、昨日は、そっと静かに近づいて観察しました。それは、どうすれば逃げられず観察できるかということを学んでいった結果なのです。
子どもは、遊びからいろんなものを吸収していると思います。だから、私は二人にとって危険なこと以外は、すべて黙認しています。好奇心からどんどん自分の興味あるものを見つけ、自分の知恵として身についていく方法としては、遊びが一番だと思うからです。
子どもの素晴らしいところは、こういう遊びからいろいろなことを吸収していく能力にあると、私は思っています。二人がこの能力を発揮できるように、優しく見守る存在でありたいと願っています。
信暁(2024年10月20日)