とどまる、感じる、ひらく

モラハラを自分もしていたことに気がついた

2024年12月03日 22:38

 この間、図書館に行った際、DV(ドメスティックバイオレンス)についての特設コーナーが目にとまりました。虐待について、もう一度しっかり理解しておく必要があると思い『夫が怖くてたまらない』(梶山寿子著 2016 ディスカバー携書)を借りてきました。その本は少し古かったのですが、日本のDVの現状だけでなく、アメリカにおける虐待の実態からDV防止法、そして、子どものDV予防教育まで始まっているということまで書かれていました。その中で、私の目を引いたのは、モラハラ(モラル・ハラスメント)のことが書かれた箇所でした。

 

 DVとは、「夫や前夫、恋人、元恋人など、婚姻関係の有無を問わず、親密な関係にあるパートナーからの精神的虐待や身体的・性的虐待を指す」ということです。 

 虐待とは、「身体的暴力」だけではなく、「言葉の暴力」、「心理的攻撃」、「経済的虐待」、「性的虐待」を言います。「身体的暴力」とは、殴る、蹴る、首を絞める、家具を壊すといったもの、「言葉の暴力」とは、高圧的な物言いや平気で噓をついたり、外見や行動をなじるというもの、「心理的攻撃」とは、家族や友人から孤立させ、常に行動を監視したり、脅迫したりする、無視をするといったもの、「経済的虐待」とは、生活費を渡さず、仕事も辞めさせて経済的自由を奪うといったもの、「性的虐待」とは、避妊に協力しない、セックスを強要するといったものであるということです。モラハラも、言葉や態度で、繰り返し相手を傷つける精神的な暴力のことなので、虐待に入ります。

 

 この本を読んでいて、DV加害者である夫から、「そんなことも分からんのか」「お前はバカだ、クズだ」と言われたり、凍るような目で軽蔑されたり、「何度言ったら分かるんだ」とどなられる部分、あるいは、原因の分からない夫の不機嫌に振り回されたり、いつも緊張を強いられたり、突然、夫が口をきかなくなったりしたという部分などが、心に引っかかりました。 

 そして、気づきました。こういったことは、自分もされていたということが。

 

 家族の中で一番年下の私は、何をやるにも常に監視され、話をする言葉にも上げ足を取られたりと、自由がありませんでした。そういった中で、この本のDV被害者である妻と同じような考えに陥り、「私さえ我慢すればうまくいく」「私が至らなかったところがあるから言われてしまう」「私が一生懸命すればいつかは分かってくれる」になっていました。

 

 読み進めていくと、アメリカのDV加害者の更生プログラムの中で「相手を攻撃する否定的な考え方と肯定的な考え方のちがい」というものがありました。例えばファーストフード店の長い列の後ろで待っているときも、「何をトロトロしてるんだ!さっさとやれよ」という否定的、攻撃的な発想ではなく、「店員も精一杯働いているはず。きっと人手が足りないのだから、待とう」と、事態を肯定的に捉える努力をするということです。 

 この文章を見たとき、私がこの例の否定的な考えの場合と同じようなことを言っていると気づきました。それだけではなく、その他の言動を思い返すと、自分がされていた「そんなことも分からんのか」などの言葉を元恋人に言っていた自分に気づきました。 

 思い返せば、相手の気持ちを汲みもせず、自分勝手に怒りを露わにしたこともありました。自分では、自分がされた嫌なことは他人にはしないようにしていたにもかかわらずです。 


 私の周囲には、以前のブログの記事「仮面家族」でも書いたように、モラハラの言動が幼少期から当たり前にあったので、意識しなくてもいつでもこのような言動が出る状態だったのです。それだけでなく、背景には住んでいたところが関西だったこともあり、要らんこともお笑いに変えれば許されるというものが自分の中にあったと思います。 

 それが、普通の会話でも相手を傷つけているとは思いもよらず、笑えない冗談となって出てきていたのでしょう。彼女が笑っているのは、笑顔というより失笑だったのですね。20年前に結婚がダメになったのは、モラハラが原因であったということが理解できました。

 

 虐待をされていた男性は加害者になりやすく、女性は被害者になりやすいということを聞きますが、自分もその一人であったということを認識しました。

 

 自分を大切にすることをモットーに人生を歩んでいますが、自分だけではなく他人も大切にすることをモットーに付け加えたいと思います。 


信暁(2024年12月2日)