とどまる、感じる、ひらく

いじけてる

2024年12月07日 21:54

 この間、グループワークでシェアしていたときのことです。私が、シェアしているときに、「いじけてるんですね」と言われました。

 「いじけてる???」

 今まで、自分の中に「いじけてる」という思いは感じたことがなかったので衝撃的でした。それからしばらく、「いじけてる」という言葉が頭の中を占めていました。


 いじけるとは、ネットで調べると、「恐怖や寒さなどで、縮こまって元気がなくなる。委縮する。ひねくれて素直でなくなる。拗ねた様子をする。引っ込み思案になる」ということだそうです。


 家に帰ってから、「いじける」ということに対して、過去のことを思い返してみました。確かに、幼少のときは家族からいつも怒られたり貶されたり、前回のブログで書いたようにモラハラされていたので、恐怖で縮こまっていたのです。

 思春期になると、モラハラされることに対し、それに反抗する気持ちも出てきたので、ひねくれて素直でなくなっていきました。学生時代は、特定の友達もいなかったので、クラスで何かをするときにグループから溢れることが多かったのです。その時のことを思い返し感じてみると、からだが苦しくなり、お腹が重たい感じになりました。その感じを感じてみると、体が震えてきて突然「やめて~」という声がからだの奥底から聞こえてきました。その声は、私の小さい自分(一般的にインナーチャイルドと呼ばれるもの)からの声でした。声は聞こえるものの、姿は見えませんでした。縮こまっているのか、恐怖で脅えているのか分かりませんでした。

 さらに感じていると、「僕はもう嫌なの」という声が何回も聞こえてきました。そこで、お腹を意識しながら自分の内側に入って、小さい自分に会うために、その子を探しに行きました。そうすると、山の麓の広い草原のイメージが出てきました。そこには誰もいなかったのですが、突然幼稚園ぐらいの子どもがいっぱい出てきて、自分(今の大人の自分)の方に走って飛んできました。その中で、離れたところで一人だけぽつんと座って向こうを向いている子がいました。その子を見た瞬間、幼少の頃の自分そのものだ!と思いました。

 「自分は、みんなみたいに走って行って飛びつくことはできない」「行ったとしても相手をしてもらえない」「行ったとしてもすぐに忘れ去られるだけ」と子どものときに思っていた自分が出てきました。

 まさに、「いじける」ということを幼稚園ぐらいからしていたのです。それが、学生のときだけでなく、今の今まで続き、ずっと同じような気持ちで過ごしていたのです。


 「僕はもう嫌なの」と言っている小さい自分は、もう「いじけた」気持ちではいたくないということなのかもしれません。それには、今の自分が「いじける」という気持ちを手放し、安心・安全と思える場所を感じることが必要なのでしょう。それができたなら、小さな自分がまた出てきてくれると思います。

 小さい自分が安心・安全を感じられるように、まずは今の自分が、「自分はいじけていたんだ」ということをしっかり受け入れようと思います。


 今までいろいろなワークをして自分の中の要らないものを手放してきましたが、違う視点から自分をみると、さらに奥に隠れているものが出てくるのだということを再発見しました。いろいろなものの見方をするようにしていても、やはり自分一人の考えだけでは「決まった視点」になりがちなので、他人から言われたことを素直に受け取り、その視点から自分をみてみることが必要だと改めて認識しました。


 隠れていたものが出てきたときは、苦しいことも多いですが、それでもやはり、ワークは楽しいです。自分のまだまだ見えていない部分に焦点を当ててくれて、そこに気づくことができるのですから。


 これからも、ワーカーさんとともに自分の光が当たっていない部分に気づいていきたいと思います。


信暁(2024年12月7日)