休みましょう
2024年12月31日 17:27
以前、ある人のセッションを受けに通っていたときのこと。その人は、「まず休んで!」「休みを取って!」「からだが疲れる前に、先に休む日を決めて!」と、とにかく休むことを誰にでも勧めていた。
そうだよな、休むことは大事だよな、とそのときは思ったけれど、なぜそれほどまでに「休む」ことを強調しているのかは、それほど理解していなかったと思う。その後、自分がくたびれ果てる度に、あのときの言葉を思い出しては、あぁほんとうだ…と実感する。なかなか身に付かないのではあるが…。
ちょうど昨日読み終わった本『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(ファン・ボルム著、牧野美加訳、集英社)には、休むことの大切さを、身をもって経験した人たちが登場し、その経験を切実な言葉で語ってくれる。書店の名前の最初の文字「ヒュ」は「休」という漢字だそうだ。
この小説の冒頭、主人公のヨンジュが自分の仕事場である書店の中に入ったシーンに、次のような描写がある。
「彼女はもう、意志や情熱といった言葉に意味を求めないことにした。自分が頼るべきは、みずからを駆り立てるために繰り返し唱えてきたそういう言葉ではなく、身体の感覚だということを知ったからだ。いま彼女がある空間を心地よいと感じるかどうかの基準はこうだ。身体がその空間を肯定しているか。その空間では自分自身として存在しているか。その空間では自分が自分を阻害していないか。その空間では自分が自分を大切にし、愛しているか。ここ、この書店は、ヨンジュにとってそういう空間だ。」
彼女の身体が肯定している空間、ヒュナム堂書店には、本好きな人たちばかりではなく、自分を立て直す必要のある人たちが訪れ、そこで「受け入れられている」という安心感の中で、お互い癒やし、癒やされ、前を向き直していく。それが可能な空間となっているのは、「自分が頼るべきは身体の感覚」だということをヨンジュが知っていることが大きいと思う。
「身体の感覚」は、本当にたくさんのことを教えてくれる。身体の声に耳を傾けていれば、多くの間違いを防ぐことができる。けれども、くたびれ果ててしまったら、身体の声を聴くことすらできなくなってしまう。本当はそういうときこそ、身体に聴く必要があるのに。
だからこそ、疲れてから休むのではなく、疲れ果てる前に休む、立ち止まる、ということが、本当に大事なのだと思う。
「休」という漢字は、人が木にもたれているところを表しているそうだ。ひとりでがむしゃらに頑張っているときほど、この漢字のように、大きなものにもたれて休むことが必要なんじゃないだろうか。
休みましょう。からだ と こころ と たましい のために。
2024年の大みそかに(ゆり)