完ぺきじゃなくていい
2025年01月13日 19:59
1月3日に初詣に行く前のことです。いつもなら、初詣に行くのだからと、髭を剃るときに少しでも剃り残しがあると、何度も剃り直していたのですが、その日は「まあ、いいか」と初めて剃り残しをそのままにして初詣に出かけました。
そのときは、なぜそうしたのか、はっきりとした理由はわかりません。ただそのとき「神様の前だからといって完ぺきにする必要はない」という思いが、内側から湧き上がってきて、その思いに従ったのです。決して神様を愚弄するつもりではなく、ただ「完璧でなくてもいい」と思えた、ただそれだけなのです。
これまで、私は何をするにも完ぺきを追及してきました。それは、子どもの頃に「いつも中途半端」「もっとキレイにできんか」と怒られていた経験からくるものでした。家では、少しでもできないことがあると「少しは○○を見習ったらどうや」と兄弟と比べられ、怒られる毎日でした。
不器用な私はいつまでたっても思うようにできなかったので、その結果、「きっちりしないと怒られる」という思いが心の中に根付いていきました。そして大人になる頃には、「そこまでやらなくても」と言われるほど完ぺきを求めてしまうようになってしまっていたのです。
しかし、完ぺきを求めることは、時に自分を苦しめていました。例えば、仕事で患者さんにリハビリをしているとき、良くなる可能性が1%でもあるなら、そこをとことん追及してやってしまう、ということもありました。それにより、「頑張ったらできるはず」と患者さんを必要以上に頑張らせたり、自分自身もとことん追求してしまうため、ストレスがひどかったのです。
今回の初詣の話に戻りますが、髭剃りのとき「完璧でなくてもいい」と思えたことが、私の変化の始まりでした。それは、今年の私の抱負である「自分に優しくする」ということを意識した上のことで、ようやく自分自身に「完璧でなくてもいい」と許可を出せたのだと思います。
不思議なことに、髭を剃り残したまま神社に行っても、まったく後ろめたい気持ちはありませんでした。むしろ、清々しい気持ちで参拝できました。今までなら、「このままでよかったのか」「やっぱりきちんと剃ってきたほうが良かったかな」と不安になっていたのですが、今回は何も迷うことはありませんでした。周りに合わせるのではなく、自分の正直な気持ちに従ったことで、心が満たされたのです。
おそらく皆さんの中にも、他人から見れば些細なことでも、「自分はそんなことはできない」と決めつけてしまっていることがあるのではないでしょうか。そんな時は、ぜひ自分の心の声に耳を傾けてみてください。きっと、そこには新しい自分に出会うためのヒントが隠されているはずです。
今年の初詣は、私にとって特別なものになりました。これからも少しずつ心の中に根付いている気持ちに気づき解放してあげ、自分に優しくしていきたいと思います。
信暁(2025年1月13日)