とどまる、感じる、ひらく

境界線を引く

2025年01月19日 16:47

 「またやってしまった。」

 以前の私は、失敗するたびに自己嫌悪と怒りの感情が入り乱れていました。自分自身に対して、失敗するたびに激しい怒りを向けていました。「なんでやねん」と、心の奥底から湧き上がる苛立ちを、自分自身でも制御できませんでした。


 でも、昨年私は変わりました。失敗しても怒りや癇癪が、起こらなくなっていったのです。


 それまでの私は、自分が何か失敗すると、まるでスイッチが入ったかのように過去の記憶が蘇り、激しく自分を責めていました。それは、過去の私が抱えていた「自分を出せない」という抑圧の裏返しだったのかもしれません。


 最初は、そんな感情が出てくること自体が、私にとって大きな喜びでもありました。「やっと自分に向き合えている」と。しかし、失敗しただけで誰かに迷惑をかけているわけではないし、最後にはきっちりとやり遂げているのに、なぜこんなにも怒ってしまうのかと、失敗の度に怒る自分に対し、しだいに疑問を抱くようになったのです。


 冷静に考えてみると、私は過去の経験から、失敗=悪だと無意識に決めつけていました。 幼い頃、何か失敗をするといつも親や兄弟から、「ぼやぼやしてるからや」「真剣にやらんからじゃ」と、厳しく責められてきました。 その時の言葉が、まるで呪いのように私の心に深く刻み込まれ、失敗する度に自分を責めるようになっていました。


 今思えば、それは、「自分でも嘆いているから、もう怒らないで」という、幼い私からの悲痛な叫びだったのです。 過去の私は、常に誰かの顔色を伺い、自分の気持ちを押し殺していました。 そして、大人になった今でも、その習慣から抜け出せずにいたのです。


 私の中で、小さい頃の自分が、今もまだあの頃のまま生きていたのです。まるで、子どもの私が大人になった私に乗り移ったかのように。

 大人の私は、自分の中の子どもの私を、制御できていなかったのです。それは、過去の経験から作られた、心の境界線の曖昧さのせいでした。


 トラウマによって、大人の私と子どもの私の境界線は曖昧になり、常に子どもの時の感情が、私を支配していました。それは、「いま、ここ」に居ないという状態をつくり出し、常に過去のトラウマに縛られていたのです。


 小さい私は家族に翻弄され、自分の居場所がありませんでした。家族の中では、自分のスペースがなく、いつも誰かが土足で入り込んでくるような感じで、他人との間の境界線がありませんでした。


 そこで私は昨年、意識的に心の境界線を再構築することに決めました。大人の私として、「いま、ここ」に居ることを意識しました。

 最初は何度も同じ過ちを繰り返して、後悔する日々でした。まるでリハビリをやっているようでした。しかし2カ月ほど経った頃、変化が訪れ始めたのです。気がつくと、以前のようには、激しく自分を責める怒りが湧かなくなっていました。


 そして、新たな発見もありました。怒らないほうが、物事が終わった後も心が穏やかでいられるのです。以前は、怒りの感情に支配されたまま、興奮状態がなかなか収まらず、好きな音楽を聴いたり動画を見たりして、無理やり気持ちを鎮めていました。


 今では、失敗した時に「ムッ」とすることはあっても、怒りの感情に支配されることはありません。それは、境界線ができたことと、物事が終わった後の心の穏やかさが、以前とは格段に違うことを、はっきりと実感できたからです。


 心の平安を保つためには、境界線の確立と、「いま、ここ」に居ることが、必要不可欠でした。昨年は、それを改めて気づかされる、かけがえのない一年となりました。


 今年も引き続き、境界線の構築と「いま、ここ」に居るということを大切にしていきます。


信暁(2024年1月19日)