ガスライティングからトラウマを断ち切る(前編)
2025年01月31日 17:50
前回のブログで「これからは母親と距離をとる」と書きました。その理由を詳しくお話ししたいと思います。それは、これまでの経験から、私と関わることで、関わった人との間にトラウマボンド(トラウマ的な絆)が形成されてしまう可能性があると気づいたからです。
まず、私の母親の生い立ちから話をします。母は、太平洋戦争を経験しました。生まれたときから日本は日中戦争下にあり、幼少期はまさに戦争とともに歩んできたと言っても過言ではありません。特に、太平洋戦争末期には疎開も経験し、母の兄が一緒であったとはいえ、甘えることができない日々を送っていたそうです。離れて暮らす親や姉妹の安否も分からず、大変辛い思いをしてきたのだと聞いています。
戦後、幸いにも家族は無事に再会し、共に暮らすことができましたが、食糧難など生きることに必死な毎日でした。最も愛情を必要とした戦中、戦後の時期に、母は十分な愛情を受け取ることができなかったのです。さらに、戦後は長女である姉から厳しく育てられ、その厳しさが、良くも悪くも母を形作っていきました。当時は「子どもは甘やかしてはいけない」という風潮も強く、その結果、母は自分の子どもに対しても「甘やかさず、厳しく育てる」という方針になったのだと思います。
私は三男ですが、長男と次男のときは、祖母がいたため母は自分の思うように子育てができなかったそうです。しかし、私のときは祖母がいなかったため、母は自分の理想通りに私を育てることができました。
その一方で、母は、長女である姉から厳しくされていたように、私も長男から厳しく当たられました。母は、それを見て自分と同じだと感じていたようです。長女である伯母は、母を愛情をもって育てていたようですが、長男である兄の態度は、愛情のない単なる八つ当たりに過ぎませんでした。「厳しく育てることが子育て」と思っていた母には、愛情と八つ当たりの区別もつきませんでした。
母自身は、一番愛情を求めていた時にそれが得られなかったため、自分に愛情が欠けているとはまったく思っていないようでした。長男である兄は、祖母にとても甘やかされていたようで、それを見ていた母はイライラしていたそうです。そのため、私の時には「甘やかさずに育てる」という方針に決めたのだと思います。
この「甘やかさずに」という考え方が、母自身の愛情不足と合わさって、私をコントロールする行動につながったのだと思います。なぜなら、私の甘えを許してしまうと、母自身が愛情不足であることを自覚してしまうため、それを無意識に防衛していたのでしょう。自分の気持ちを吐き出しながら、私をコントロールする。今思えば、それはまさにガスライティングそのものだったと理解できます。
ガスライティングから回復するためには、まず自分がその被害に遭っていたことに気づくことが大切です。私の場合、マインドフルネスを通して自分の内面を見つめ直す中で、過去の経験が今の自分にどう影響しているのか、少しずつ理解できるようになりました。
例えば、私はよく𠮟られていましたし、些細なことでも罪悪感を抱いていたので、「物心つく前のもっと幼い頃に死んでいたら良かったのかも」と思っていましたし、他人の言動に過敏に反応したりしていました。しかし、それらがモラハラによる影響だとは気づいていませんでした。以前のブログにも書いたように、DVに関する本を読んだことがきっかけで、自分がモラハラを受けていたことに気づいたのです。
さらに、過去を振り返ると、私がモラハラをしてしまうのも当然だったかもしれません。なぜなら、私の家族はモラハラをしない人の手本がなく、それが当たり前の環境で育ったからです。自分がモラハラをしていたことに気づいたのも、モラハラに関する本を読んだことがきっかけでした (詳しくは「モラハラを自分もしていたことに気がついた」のブログをご覧ください) 。
モラハラをされていたこと、そして自分もしていたことに気づいても、まだ心のどこかでスッキリしない部分がありました。そんな時、本屋で「ガスライティングという支配」という本を見つけました。ガスライティングとは、相手に否定的な言葉を浴びせること、自信を失わせ、混乱させ、支配しようとする行為です。私は、その結果として自分の境界線を失い、理不尽なことでも理不尽だとは思えなくなり、コントロールされることでトラウマボンド(トラウマ的な絆)を築いてしまったのです。つまり、私が受けていたのはモラハラというよりも、精神的な虐待、つまりガスライティングだったのだとはっきり認識しました。特に、母親からのコントロールは、まさにガスライティングだったのです。
ガスライティングをされていたと認識したことで、私は感情的にも深く納得できました。
(後編に続く)
信暁(2025年1月31日)