とどまる、感じる、ひらく

自分の過去に気づくだけでは世代間トラウマを断ち切ることはできない

2025年02月08日 22:15


 セッションでは、気づかないうちに心の奥底に隠して、蓋をしてしまっていた記憶に出会うことがあります。それは、生き延びるために、見ないように、感じないようにするために押し込めてきたものです。それに気づいたときには、悲しみや怒りなどの感情が込み上げてくることがあり、その感情に翻弄されてしまうことさえあります。

 

 例えば、幼い頃、親から「お前は、勉強もせずにへらへらして気楽なもんやなぁ」といつも言われていたとしましょう。言われた子どもは、場を和ませるように「へへへ、笑ってると楽しい気分になるからね」と返答します。これだけ見れば、微笑ましい家族に見えるかもしれません。しかし、その子の笑顔の裏に、「自分がへらへらすることで家庭内の雰囲気が柔らかくなり、喧嘩も少なくなるから」という理由が隠れているとしたらどうでしょう。微笑ましいとは到底思えませんよね。

 

 その子自身は、両親が喧嘩ばかりするのを見ているのは耐えられないのです。「喧嘩をやめて」とも言えず、なんとかして両親の喧嘩を止めようと、無意識のうちにへらへらするようになったのかもしれません。自分がこの両親のもとで暮らしていくために、仕方なくやっていることであって、心の底から笑いたいわけではないのです。だから、成長して行くにつれ「へらへらする」ということに対して違和感が出てきます。

 

 職場や友達関係の中で、言い争いや喧嘩になりそうなとき、その人が、ニコニコしながら場を和ませるということも少なくないでしょう。自分では、当たり前のようにやってしまっているので、やってしまう理由は本人には分かりません。ある時、「どうして自分はほっとけばいいものを、仲介役をしてしまうのか」「嫌な役を買って出るのか」という考えが浮かんでくるかもしれません。それが、時々だったものが、頻繁に出てくるようになり、原因も分からぬまま「一人で悩む」ということにも繋がっていきます。しかし、へらへらすることによって、両親の仲裁をしていた過去が原因であることには気づかないのです。

 

 こういった悩みを抱えてセッションに訪れ、自分自身をしっかり顧みたとき、子どものときの記憶が出てきます。いつも親から言われていた「お前は、勉強せんとへらへらして気楽なもんやなぁ」という言葉を思い出します。このときは、「自分は争いごとは好きではなく、子どものときのようにへらへらして気楽でいたいから仲裁役を買ってしまうんや」という理由にして、自分では納得したつも りになるかもしれません。しかし、他人の争いの中で仲裁役をしたとき、なぜか気持ちの上でしっくりこないことがまた起こってしまいます。

 

 なぜしっくりこないかというと、本当の理由に気づいていないからです。そのときに、またセッションをしていくと、へらへらしていた自分の奥にある本当の理由が出てきます。「両親の喧嘩を起こさせないためにしていた」ということです。子どもの頃は無意識のうちにやっていて、今までそんなことを考えもしていなかったので、そのことに気づいたとき、健気な自分に対して、本当にいたたまれなくなり、物凄い悲しみが出てきます。それと同時に、「どうして自分がしなくてもいいことをしていたのか」という自分自身に対する怒りと、「自分が両親のためにこんなことをさせられていた」といった親に対する物凄い怒りが出てきて、葛藤も生じます。

 

 しかし、本当に必要な気づきというのはここではないのです。それは、どういうことかと言うと、無意識に隠してしまった記憶の中の出来事と同じことを、自分自身も無意識にやってしまっているということなのです。

 

 この上記の例で、この人に子どもがいたとしましょう。この子どもが、両親の喧嘩をもう見たくないという思いから、へらへらして場を和ませようとしているかもしれません。自分が、過去にしていた嫌な思いを、子どもがしているのです。自分が過去に気づくと、子どもが自分と同じようにしていることにも気づきます。

 

 それに気がついたときには、自分の過去に気づく以上にいたたまれないというか、自分に幻滅してしまいます。もう穴があったら入りたいどころではありません。「あれだけ子どもには、嫌な気持ちをさせないで楽しくのびのび育てようと思っていたのに」というようなこと思っているとなおさらです。悲しみや怒りなどの感情が出てくるどころか、放心状態になって何もかも手が付けられない状態になってしまいます。

 

 どうしてこんなことが起こるのでしょう? 


 「他人に嫌がることはしないようにしよう」と思ったとき、他人であれば、ある程度は意識をしていると防げます。しかし、自分の子どもとなるとそうはいきません。身内であるということ、親子の一体感みたいなものが、自然と自分の気持ちを緩めてしまうのです。そうなると、どれだけ自分自身が嫌なことはしないようにしようと思っても、無意識にしてしまうということが起こるのです。

 

 このようなことを、無意識のうちにやってしまい、それに気づくことがなければ、その子どもも同じような苦しみを抱えてしまいます。これが、まさに世代間トラウマというものです。この「自分がされて嫌だったことを、自分もしていたんだ」ということに気づいて、初めて自分自身の内面の苦しさが溶けていきます。この気づきによって、世代間トラウマを断ち切ることにもなります。言い換えると、ここまで気づかないと世代間トラウマは断ち切ることができないのです。

 

 今までに何回かブログに書いていますが、私自身は母親からコントロール(ガスライティング)されていました。それにより、生きづらさを抱えて今まで生きてきました。20年前に結婚しようとした人にコントロールをしていましたが、これも自分が無意識でしたことです。このことに気づいたのは最近ですが、気づいたときは、自分自身に幻滅したと同時に、信じられない気持ちにもなりました。しかし、少し気持ちが落ち着くと、「だから相手が自分から離れて行ったんや」と納得もしました。あのまま結婚しなくてよかった、結婚して子どもでもできていたら、世代間トラウマを起こしていただろう、誰も傷つけなくて良かった……とも思いました。

 

 その後、結婚しましたが、子どもはいません。けれども妻の孫である義孫がいます。その孫に対して、コントロールしないように、トラウマを起こさせないように気をつけて接するようにしています。

 

 世代間トラウマは、誰も幸せにしません。誰にでも世代間トラウマは起こり得ます。いま生きづらさを感じていることがあれば、それを見ていくことです。それを見ていくことにより、自分自身の過去に気づいていくでしょう。それで終わりにしてはいけません。子どもさんがいるならば、自分が無意識にその子にしてしまっていることに気づいてください。そうすることが、世代間トラウマを断ち切ることになるのです。

 

 世代間トラウマは、自分たちの代で終わらせましょう。 


信暁(2025年2月8日)