怒ることは必要か?
2025年02月27日 14:30
怒ることは必要か?
最近になって、子どものときよく怒られていたことを思い出します。
子どものときは何かにつけて怒られていましたが、怒られたことで「何か身についたことがあるか」と言われると、まったく思い当たりません。それよりも、ただ恐怖心と罪悪感を植え付けられただけで、思い出すと怒りが込み上げることもあります。
そこで、「なぜ人は怒るのか」「本当に怒るということは必要なのか」という疑問を持ちました。
「怒る」という行為は、ただ自分の感情をぶつけるだけです。私が怒られていたときのことを考えてみると、「何をぐずぐずしてんの」「早くご飯食べなさい」「早く勉強しなさい」「早く寝なさい」「どうしてあんたは何も言わんの」「あんたの言うことは意味が分からん」「しっかり考えなさい」「こんなこともできんのか」……など、挙げればきりがないくらいたくさん出てきます。
いま挙げた例だけでも、よく考えると怒らなくてもいいことばかりです。怒ったほうの理由としては、見ていて腹が立つから、私が困るから、私が何も教えていないと他人から指摘されたら恥ずかしいから……などの理由で、本人の都合でしかないのです。
子どもが怒られるようなことをしてしまうのには、子どもなりのワケがあるのです。例えば、子どもが「ぐずぐずする」場合には、その子はお母さんからあまり構ってもらえないので、ぐずぐずすることで構ってもらいたいと思っているかもしれないのです。「何も言わない」場合には、いつも正直に言ったら怒られてばかりなので、言いたくないのかもしれないのです。
昭和の時代は、子どもは何も分からないから「怒って言うことを聞かせる」という考え方が主流でした。子どもは何も分からないから、ある程度の年齢までは親が道筋をつけてあげるために、子どもを怒る必要があるというのです。だから、あちこちの家庭で子どもが怒られている声がしたものです。手を挙げることも当たり前でした。私もそうされてきた一人です。
冒頭でも書いたとおり、怒られたことでよかったことは何一つありません。怒られた事実と恐怖心、罪悪感、恨みの感情が残っただけです。
子どもに道筋をつけてあげるには、何も「怒る」というやり方を使わなくてもできます。これは単に子どもをコントロールする口実を作っているだけで、決して子どものためを思ってしているわけではないのです。
「コントロールする」というのは、「自分の思い通りにしよう」「言うことを聞かせれば子育てが楽になるから」という理由でしかないのです。怒られることによって恐怖を植え付けられ、条件反射でしないようにするというのは、まるでパブロフの犬(※)と変わりありません。いまでは「怒る」という行為がパワハラとされるだけではなく、トラウマを引き起こす原因となることも分かっています。
確かに、機嫌が悪いときもあるでしょう。子どもが、注意しても同じことばかりして腹が立つこともあるでしょう。そういう気持ちで怒ってしまったのなら、怒ったあとで子どもに「ごめんね」と謝ればいいのです。
子どもは、怒るのではなく「叱る」という行為によって、言い聞かせ、納得することで行動を起こします。納得すれば、次からは同じことをすることはなくなったりします。それでも同じことをするなら、まだ納得していない部分があると思い、一緒に納得できるまで教えればいいのです。こういったことをすべてのことに対して考えていくと、決して怒ることは必要ないのです。
子育ては難しいでしょうが、私の身近に子どもを怒らないことを前提に子育てをしてきた人がいます。自分が、親から心理的虐待を受けたにもかかわらず、自分の子どもには怒らず3人の子どもを育て上げた方がいます。
私も以前は、「怒らずに育て上げることは無理」と思っていました。しかし、「怒る」ということを突き詰めて考えていくと、「怒る」という行為が卑劣なことで、決して何の解決ももたらさないことが分かりました。
怒ることは、感情をぶつけるだけで、相手に恐怖を植え付け、怒られたという事実と罪悪感を残すだけ。そして、怒られた側には、トラウマとなり得る行為です。
一方、叱るというのは、相手のことを考え成長を促すことに繋がります。
自分も子どもも信頼することで、「怒る」という行為は自分の中から消えていくのではないでしょうか。
(※)パブロフの犬
犬にエサを与える前にベルを鳴らすという行為を繰り返す。エサを与えられる と犬は唾液を分泌する。これが繰り返されると、ベルを鳴らしただけで唾液を分泌するようになるという条件反射の実験。
信暁(2025年2月27日)