とどまる、感じる、ひらく

甘えることは悪くない

2025年03月30日 19:43

 そもそも「甘える」と言う言葉を使うときには、良いニュアンスで使うことが少ないように思います。「甘える」というと、他者に頼る、依存する、わがままを言うといった行為を思い浮かべることが多いのではないでしょうか。

 「甘えることは良くないこと」という否定的な先入観があると、「甘える」という言葉を否定的に使うのかもしれません。例えば、「べたべた甘えるな」とか「いい加減に甘えることをやめなさい」とかです。反対に、良い意味では「甘える」という言葉をあまり使わないように思います。


 「甘える」といわれるようなことと同じ行為をしても、それを受け取る側が容認していれば、「甘える」という表現は使わないような気もします。

 例えば、親密な人と抱擁するときなど、お互いが認め認められる関係である場合は、「甘える」という言葉は出てこないと思います。これは、相手の気持ちも自分の気持ちも尊重している状態だからだと思います。

 そう考えると、「甘える」という言葉を使うときは、相手を尊重していないとき、または相手と対等でない場合が多いのかもしれません。特に親が子どもに対して「甘える」という言葉を使うときには、「もう○年生なんだから甘えないの」とか言っているのを聞くことがあります。ここには対等の関係はないし、親は子どもの気持ちを尊重しようともわかろうともしていません。


 人には、感情があります。その時の環境によって湧き起こる感覚もあります。

 例えば、悲しくて泣いているときには、「人にすがりたい」と思う気持ちになったります。悲しくて人の温もりを感じたいというときですね。嬉しいときには、喜びをからだの感覚で分かち合いたいということがあります。嬉しくて、思わずハイタッチやハグをしてしまうなんてときですね。こういったときには、相手の様子が目に見えるし、自分もその気持ちを受け取って、相手の反応に合わせることはそれほど難しくはないです。

 しかし、相手が、なんだかわからないけれども「誰かにそばにいて欲しい」という気持ちでいるときはどうでしょう。こちらがそれを受け取る余裕があれば、一緒にいてその感覚に寄り添ってあげることもできますが、相手の気持ちを感じ取ったり受け取ったりする余裕がなければ、相手の反応に合わせることができず、結果的に相手の行動を拒否してしまうことも起こります。

 このように否定的な対応をしてしまう場合には、「甘えている」という言葉を使って、逆に相手を非難する気持ちになっている場合も多いと思います。その気持ちの裏には、自分が寄り添ってもらいたかったのに寄り添ってもらえなかった、甘えたいのに甘えることができなかった経験があるのかもしれません。相手に対し「何かあったのかな」「少しでも気持ちが楽になればいいな」と寄り添う心があれば、自然と相手の「甘える」行為も許せるのだと思いますが、自分がそういうことをしてもらった経験がなければ、そのちょっとしたことが難しくなってしまうのかもしれません。


 いろいろな行動を「甘える」という言葉に置き換えると、誰しも当たり前のようにやっていることなのではないかと思います。それが、「甘える」という言葉を使った途端、何か否定的なことのように感じられてしまうだけなのではないでしょうか。


 そう考えると、決して「甘えることは悪くない」のです。むしろ、当たり前のように自分の感情、感覚を表現したことの結果なので、どんどんその気持ちを出していけばいいと思います。

 私たちは、言葉だけで生きているのではありません。自分の感情、感覚もしっかり感じ、それを表現することによって生きているのです。


 「甘える」という言葉にとらわれることなく、自分の気持ちに正直に、素直に表現してみてはどうでしょうか。

 甘えることは普通のことであり、甘えることは決して悪くないのです。


信暁(2025年3月30日)