とどまる、感じる、ひらく

「傷の声」を読んで

2025年04月05日 19:00

 『傷の声 絡まった糸をほどこうとした人の物語』齋藤塔子著(医学書院)を読みました。

 

 冒頭で、精神病院で拘束された話が出てきます。任意入院であるにもかかわらず強制入院として3週間ベッドに拘束され、助けを求める叫びも聞き入れられず、医師や看護師からは人間として扱われず、人間の尊厳を打ち砕かれた経験が書かれています。そのことが、トラウマとして塔子さんに重くのしかかりました。 

 その後、自分が看護師となり、新人教育のとき高齢者を拘束した際に、過去のフラッシュバックと共に精神が壊されていきました。精神が崩壊したのは初めてではなく、生い立ちによって精神が崩壊していたところに追い打ちをかけての崩壊でした。

 

 塔子さんの家庭は、一見すると何の問題もないように見えます。父親はサラリーマンとして働き、母親は専業主婦、お兄さんと塔子さんは中学から私立の高校に行き、大学も出てしっかり働いています。 

 しかし、現実には、父は母に対して精神的虐待をしており、塔子さんが父に可愛がられていると思った母は、しだいに塔子さんを虐待していきます。兄は、中学受験のために塾に行っているときに、成績が悪く父からすごく怒られながら勉強していました。塔子さんとは幼少の頃は仲が良かったのですが、中学入学後は会えば塔子さんに暴力を振るうようになっていました。塔子さんは感受性が高いため、家族で起こっていることをすべて自分事のようにとってしまい、いろいろなことに対して罪悪感を感じていました。 

 塔子さんは、父の厳しさ、母の虐待、兄の暴力に耐え、一人苦しんできました。一人で家族のすべての犠牲を背負わされてきたといっても過言ではないと思います。誰にも自分の気持ちを曝け出せず、その苦しみが、高校1年のときに精神崩壊という形で出てきました。

 

 感受性の高い塔子さんは苦しみを緩和するために、アームカットやオーバードースに走ってしまいます。塔子さんは、アームカットやオーバードースをすることに対してこんなふうに言っています。「アームカットは意識を感情の領域から体の方向に持っていくための手段」「オーバードースは心の痛みから逃れるために意識を飛ばす手段」と。相当な苦しみを抱えて家族の中で生きてきたことが伺えました。 

 この時に、学校の担任の先生、保健室の先生、スクールカウンセラーが心のよりどころとなります。しかし、高校を卒業後は心のよりどころがなくなり、また一人で苦しんでいました。 

 その後、アームカットやオーバードースを繰り返しながらも、セラピーを受けたり精神病院にも入院したりしながら、なんとか生きて来られました。 

 母親が父親と離婚し、兄は独立し結婚もして、自分も結婚し、それぞれが自分の道を歩み始めていました。

 

 そんな時、過去を清算するため塔子さんは母と兄に会いに行き、あの頃の出来事を話し合います。しかし、そこで塔子さんを待ち受けていたのは、深い絶望でした。 

 塔子さんにとって、人生を左右するほどの苦しみだった過去が、母と兄にとって、それは遠い昔の、他人事のような出来事だったのです。母と兄は、塔子さんを感情の捌け口とし、その場しのぎでやり過ごしてきたため、過去の出来事と向き合う必要がなかったのだと思います。一番傷つき、苦しんだのは、すべての感情を一人で背負い込んだ感受性の高い塔子さんだったのです。

 

 そして、その苦しみが影響したかどうかわかりませんが、塔子さんはこの本の出版前に亡くなられました。

 

 家族の中で最も弱い者が、家族の負の部分を背負わされることは決して珍しくありません。そして、その経験は深いトラウマとなり、生涯消えることなく心に残り続けます。

 

 大人になり、勇気を振り絞って過去を語っても、家族は他人事のように受け止めます。それによって、被害者は二次的なトラウマを引き起こします。家族との縁を切ることができれば楽になれるのかもしれません。しかし、そうした人々は、心のどこかで家族への想いを断ち切れずにいることが多いのです。

 

 私も同じようなことがありました。過去の出来事を、母と兄に話したところ、「まだそんなこと考えてんのか」「ええ加減前を向いたらどうや」と。まるで、自分たちが加害者ではないかのように。これにより、さらなる苦しみが私を襲いました。私も「死んでおけばよかった」と思って生きていたこともありますが、自分の苦しさを塔子さんのように表現することはありませんでした。

 

 私の場合は、幸運にも手塚郁恵さんと出会い、マインドフルネスセラピーと出会ったのが転機となりました。そこで、自分の過去と向き合い、苦しかった想いを出していきました。 


 塔子さんのように虐待を受けたりしながら、家族の負の部分を一身に背負わされている方もいると思います。どうか一人で抱え込まないでください。そこから抜け出すきっかけと出会うまで、私のように何十年とかかる場合があるかもしれません。出会っていても、猜疑心のほうが勝ってしまい拒否しているのかもしれません。しかし、必ず出会えます。それだけは間違いなく言えます。それまでサナギのように待っていてください。

 

 私は、自分と同じように家族の捌け口となり、負の部分を背負わされることによってトラウマになった方々が、塔子さんのように亡くなってしまうのはいたたまれないのです。 

 もし、私たちで良ければ、あなたのお気持ちに全力で立ち向かわせていただきます。

 

 私の願いは、一人でも多くの人がこういった苦しみから解放されることなのです。

 

信暁(2025年4月5日)