楽しむということ
2025年12月30日 14:30

よく、スポーツ選手がここ一番の試合のときに「楽しみます」と言っているのを聞いたことはありませんか? この場合の「楽しみます」というのは、2つの意味合いがあるのではないかと思います。1つには、「自分の緊張を解きほぐして試合に挑みたい」という気持ちと、これだけ頑張ってきたのだから後は「自分の持ち味を出して試合をしたい」という気持ちです。
今回は、こういったこととは少し違い、純粋に「楽しむ」ということだけを取り上げたいと思います。
「楽しむ」ためには好奇心が大切
例えば、自分の趣味に没頭することも「楽しむ」ことの一つです。 ほかにも、人との会話を味わったり、散歩の途中で風や光を感じたり、 食事のときに匂いや食感をゆっくり楽しむことなど、 日常の中には「楽しむ」瞬間がたくさんあります。
では、このときの感覚と一緒に「楽しい」という感覚を味わうためにはどうすればいいのでしょうか? 先ほどの例えでは、五感が自然に開き、目の前のものとつながっているような感覚が生まれると、静かな喜びや満ち足りた感覚が、内側からふっと湧いてくることがあります。
このような感覚を呼び起こすためにカギを握るのは、好奇心です。
「楽しむ」ためには、好奇心を持つことが大切です。
例えば人と会うときなら、「この人はどんな人なのだろう」「どんな暮らしをしているのかな」と自然に興味が湧いてきます。
何か新しいことに挑戦するときも、「これからどんなことが起こるのだろう」「自分には何ができるだろう」とワクワクする気持ちが生まれます。
真に楽しめるのは「いま、ここ」にいるときだけ
しかし、好奇心だけでは十分ではありません。 どれほど興味を向けようとしても、心が「いま、ここ」にいなければ、 その興味はどこか浮いた状態になってしまうからです。 それは、「地に足がついていない」という感覚です。地に足がついている感覚がなければ、好奇心は簡単に薄らいでしまいます。そもそも「楽しむ」ことができないのです。
どういうことかというと、私たちは過去にとらわれていると、目の前の人を見た瞬間に、無意識に「過去に会った誰か」に当てはめてしまいます。 そして、「あの人に似ているから、きっとこういうタイプだろう」と判断し、 そこから未来を予測してしまいます。
何かをするときも同じです。 過去の経験を引っ張り出してきて、「前はこうだったから、今回もこうなるだろう」と考えてしまいます。 もし似た経験がなければ、警戒しながら構えてしまいます。
こうした“過去と未来の間”にいる状態では、目の前の出来事をそのまま味わうことはできません。つまり、「楽しむ」ことができないのです。
反対に、過去にも未来にもとらわれず、ただ「いま、ここ」にいることができると、 目の前の人や出来事と自然に向き合えるようになります。
「いま、ここ」にいるとき「共にある」
「いま、ここ」で相手や出来事と向き合っているとき、その相手や出来事と「共にある」ことができます。この「共にある」という状態こそが、本当の意味での「楽しむ」ことにつながります。「共にある」とは、以前のブログでも書きましたが、相手や出来事に飲み込まれたり、逆に境界を越えて踏み込みすぎたりしない状態のことです。そのちょうどよい距離感が保たれていると、安心して好奇心が生まれ、相手や出来事に振り回されることなく、その瞬間を味わうことができるのです。
「楽しむ」とは、特別なことをすることではなく、「いま、ここ」の瞬間に好奇心を持って、居ることだけでいいのだと思います。 その小さな積み重ねが、私たちの日常を豊かにしてくれるのではないでしょうか。
信暁(2025年12月30日)